匠雅音の家族についてのブックレビュー    ジャズで踊って−舶来音楽芸能史|瀬川昌久

ジャズで踊って
舶来音楽芸能史
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著者:瀬川昌久(せがわ まさひさ) 清流出版  2005年 ¥2100−

 著者の略歴−音楽評論家−1924年東京生まれ。戦前よりジャズ・ポピユラ一音楽を愛好し、48年東京大学法学部卒業後、国際経済分野の実務にたずさわるかたわら、雑誌,レコード,コンサートなどで音楽評論・企画に活躍している。富士銀行秘書室を経て、現在,ダウ・ケミカル・ジャパン勤務。武蔵野美術大学の講師として「世界ポピュラー音楽史」を教えている。
 我が国のジャズは、敗戦とともに来日した占領軍によってもたらされた、と一般に思われている。
敗戦後、多くのものがアメリカから輸入されるが、ジャズもその中に入っていた、とボクもそう信じていた。
しかし、そうではないようだ。
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舶来音楽芸能史―ジャズで踊って

 本書は、今はなきサイマル出版会から上梓されているが、瞠目すべき内容にあふれている。
大正時代にはダンスが大流行して、各地にダンスホールができたという。
ジャズやダンスは、すでに昭和初期には我が国で大流行していたという。
そういえば、現在80歳を越える人たちには、社交ダンスをたしなむ人がたくさんいる。

 これだけなら、当サイトが本書を取り上げることはない。
我が国では今の若い人たちは、もう社交ダンスなど踊らないし、西洋諸国の若者も社交ダンスなど踊らない。
しかし、いま中国で30歳越えくらいの人たちが、けっこう社交ダンスを踊るのだ。
途上国と思われる中国で、ダンスが流行るとはどういことだろうか。

 中国でのダンス流行を思いながら、近代化の進展へと、連想がつながったのである。
大正13、4年になると、大阪にもダンス・ホールができた。
15年になると、大小20ものダンス・ホールができたという。
そして、昭和になると、そこで演奏していたバンドが、高給をえて映画の伴奏に進出し、映画伴奏の楽士と給料をめぐって対立したという。

 楽士がストライキに入ったところ、経営者側は楽のクビをきって、レコードに切り替えた。
それによって、経費は10分の1になったし、映画館で電蓄とレコードを売って、儲けがふえたのだという。

 洋画のバラマウント社がこれに目をつけて、電気館のレコードの選曲をしていた紺野守夫という男を高給で抱え、自社の映画の伴奏レコードを台本に従って選ぶ作業をさせた。こうして、あらかじめレコードを指定した台本が全国の映画館に回されるようになって、ビクターやコロムビアのレコード会社は、電蓄もレコードも売れるというので大喜び。紺野を料理屋に接待して自社のレコードを売り込むという始末になった。映画館の伴奏楽士の失業は、トーキーの出現によって起きたとされているが、実はそれより先に、伴奏レコードの使用によって取って代わられつつあったのが真相である。P32

という現象がおきた。
映画館の伴奏楽士の失業は、弁士の失業と同時期と思われていたが、そうではないというのだ。
本書には、こうした指摘が随所に見られる。

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 書名のとおり、ジャズに関しての話が大部分だが、目から鱗を落とされるような指摘があった。

 昭和3年から3、4年間のレコードによる大衆化は、まさにジャズ・ソングの時代といっても過言ではない。(中略)
 のちの歌謡曲と称するものはまだ現われず、流行小唄という日本人作詞作曲によるものも、明るい旋律の曲が多かった。現在の演歌につながるような感傷的な歌詞と旋律の流行歌のヒットは、昭和6年の古賀政男「酒は涙か溜息か」にはじまる。歌謡曲全盛時代は古賀政男の出現によってスタートした。同時にジャズ・ソングの大流行も下火となり、ジャズ・ソングは大衆歌の王座の地位から消えていった。「ジャズ・ソング、古賀政男に敗る」である。P61〜62


 演歌と呼ばれる歌謡曲は、我が国に独特のもので、昔からあったように思いがちである。
しかし、大正から昭和の初期までにあったのは、小唄や新内であり、もっとも流行っていたのは、浪花節だという。

 振りかえってみれば、今アジアでは、我が国の歌謡曲がはやっている。
これも実は近代化と関係があるのではないだろうか。
我が国のテレビ・ドラマ「おしん」がアジアで受け入れられたように、近代化の一時点で、共通に受け入れられるメンタリティが、あるのではないだろうか。

 そう考えるとき、演歌が発生し受け入れられるのも、近代化途上の一時期なのではないだろうか、と思うのである。
「碁打ち・将棋指しの誕生」の書評で、碁や将棋のような論理的な盤上遊技が普及すると、近代化が始まるのではないか、という仮説をすでに述べた。
演歌に関しても、同じことがいえるのではないだろうか。

 近代化の発生は、もちろん資本の原始蓄積や、近代化をになうエートスが必要である。
と同時に、近代化のエートスが生まれるときは、他の精神分野でも、同じような現象がおきているのではないか。

 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」が西洋で近代化のエートスだったとすれば、 我が国では「天皇制」が、ほかのアジア諸国では「開発独裁」が近代化のエートスだった、と「痛快!憲法学」の書評で述べた。
3者のメンタリティは、近代化という意味では共通であり、そこでは音楽など他の精神分野も、共通点があるのではないか。

 能・歌舞伎やバレエのように、時代を超越して普遍のものもある。
しかし、大衆芸能は、日劇ラインダンスが閉幕したように、近代化とともに変化・消長するのではないだろうか。    (2009.3.06)
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参考:
金子雅臣「ホームレスになった」ちくま文庫、2001年
石原里紗「ふざけるな専業主婦」新潮文庫、2001年 
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993年(角川文庫 2001年)
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003年
大山史朗「山谷崖っぷち日記」TBSブリタニカ、2000年

吾妻ひでお「失踪日記」イースト・プレス、2005
金子雅臣「ホームレスになった」ちくま文庫、2001
石原里紗「ふざけるな専業主婦」新潮文庫、2001 
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993(角川文庫,2001)
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
大山史朗「山谷崖っぷち日記」TBSブリタニカ、2000

荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
ロバート・スクラー「アメリカ映画の文化史 上、下」講談社学術文庫、1995
ポーリン・ケイル「映画辛口案内 私の批評に手加減はない」晶文社、1990
長坂寿久「映画で読むアメリカ」朝日文庫、1995
池波正太郎「味と映画の歳時記」新潮文庫、1986
佐藤忠男 「小津安二郎の芸術(完本)」朝日文庫、2000
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
篠山紀信+中平卓馬「決闘写真論」朝日文庫、1995
ウィリアム・P・ロバートソン「コーエン兄弟の世界」ソニー・マガジンズ、1998
ビートたけし「仁義なき映画論」文春文庫、1991
伴田良輔ほか多数「地獄のハリウッド」洋泉社、1995
瀬川昌久「ジャズで踊って」サイマル出版会、1983
宮台真司「絶望 断念 福音 映画」(株)メディアファクトリー、2004
荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001
奥山篤信「超・映画評」扶桑社、2008
田嶋陽子「フィルムの中の女」新水社、1991
柳沢保正「へそまがり写真術」ちくま新書、2001
パトリシア・ボズワース「炎のごとく」文芸春秋、1990
仙頭武則「ムービーウォーズ」日経ビジネス人文庫、2000 
小沢昭一「私のための芸能野史」ちくま文庫、2004
小沢昭一「私は河原乞食・考」岩波書店、1969
赤木昭夫「ハリウッドはなぜ強いか」ちくま新書、2003
金井美恵子、金井久美子「楽しみと日々」平凡社、2007
町山智浩「<映画の見方>がわかる本」洋泉社、2002
藤原帰一「映画のなかのアメリカ」朝日新聞社、2006
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002

イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001

石原寛爾「最終戦争論」中公文庫、2001
多川精一「戦争のグラフィズム」平凡社、2000
レマルク「西部戦線異常なし」レマルク、新潮文庫、1955
ジョージ・F・ケナン「アメリカ外交50年」岩波書店、2000
アミン・マアルーフ「アラブが見た十字軍」筑摩学芸文庫、2001
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
戸部良一ほか「失敗の本質:日本軍の組織論的研究」ダイヤモンド社、1984
田中宇「国際情勢の見えない動きが見える本」PHP文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
ウイリアム・ブルム「アメリカの国家犯罪白書」作品社、2003
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
多川精一「戦争のグラフィズム 「FRONT」を創った人々」平凡社、2000
秦郁彦「慰安婦と戦場の性」新潮選書、1999

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