匠雅音の家族についてのブックレビュー     フィルムの中の女−ヒロインはなぜ殺されるのか|田嶋陽子

フィルムの中の女
ヒロインはなぜ殺されるのか
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著者:田嶋陽子(たじま ようこ)   新水社 1991年 ¥2、200−

 著者の略歴−1941年岡山生まれ、静岡県育ち。1964年津田塾大学学芸学部英文科卒、69年同大学院博士課程(英文字専攻)修了後、イギリスのケンブリッジ大学、ロンドン大学で訪問研究員。「現代イギリスの女性作家」「読みの軌跡」、共著に「女を装う」「花婿学校」などがある。現在、テレビ・講演で大活躍中。

 田嶋陽子といえば、フェニミスト学者というより、テレビ・タレントだろう。
しかも、ちょっとピント外れな発言をするオバサンというイメージが強い。
そのため、悪い先入観を持って本書を読んだ。
しかし、映画の見方はしっかりしており、彼女を見なおした。

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フィルムの中の女
 平凡な大学の先生だった者が、テレビに出たとたんに有名にはなった。
テレビでは本人とは違うイメージが先行する。
一時は有名になったが、もはや彼女の名前は、どこからも聞こえてこない。
テレビで有名になることは、良いことなのだろうか。

 本書は、「映画にみる女性の魅力と抑圧状況」という学習会での話をもとに、加筆したものらしい。次の10本の映画に関する評論である。

 二人の男のはさまに落ちた女「赤い靴」
 二人の男のオモチヤにされた女「突然炎のことく」
 彼らは廃馬を撃つ「べテイ・ブルー」
 母を告発する「父の娘」「秋のソナタ」
 母に食われた娘「女優フランシス」
 専業主婦の終焉宣言「愛と追憶の日々」
 現代版『白雪姫』「エミリーの未来」
 レズピアン版『人形の家』「リアンナ」
 「女らしさ」の神話からの脱皮「存在の耐えられない軽さ」
 自己欺瞞からの再生「私の中のもう一人の私」
  *タイトル前の文は、筆者のコメント

 1948年製作の「赤い靴」があるが、「 突然炎のことく」は1962年製作だし、多くは同時代の映画である。
1989年製作の「私の中のもう一人の私」までを、1989年の秋に論じている。
選んだ映画にちょっと偏りを感じはするが、ほぼ同時代の映画だといっても良いだろう。
そういう意味では、公平で真摯である。

 筆者も本書のなかで何度も言っているように、その時代に生きる人間は、男女ともに時代の価値観に支配される。
大衆芸術である映画は、より一層社会迎合的になりやすい。
だから「赤い靴」が、男性支配がもっとも強いのも、また当然だろう。

 筆者は人間の自立に、経済的な充足が不可欠だと、何度も言っている。
まったく、そのとおりである。
そして、恋愛が、経済的自立から女性たちの目をそらすものだ、とも言っている。
これもまったくそのとおりである。

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 恋愛ほど、イージーにたちまちにして特別な努力もなしに、生命の充実感を味わわせてくれるものは、そんなに多くはありません。しかしそれも相手と対等な基盤に立ってこそはじめておおらかな恋愛になり得るので、そうではない場合には、たいてい割を食うのは、女性の方です。ですからそれを結婚という形で償うことになるのでしょうが、男女が本当にそれぞれ自立していれば、恋愛が結婚に結びつく必要はないわけです。映画の中で「愛は瞬間」「幸福は束の間、過ぎ去る」と言っていますが、意外に、恋や愛の本質はそういうところにあるのかも知れないからです。P56

 恋愛とは、もともと男性が始めたものだが、いまでは女性の専売特許のようになった。
女性が恋愛好きなのは、女性に職業がないままで男女平等が説かれた時代では、平等を感じられたのは恋愛だったからだ、と筆者は言う。
だから、職業をもつ男性には、恋愛は自己表現の一つにすぎない。
しかし、女性には、恋愛はたった一つの自己表現だから、すぐに「生きるか死ぬか」になってしまう、と筆者はいう。

 男女の色恋は永遠だろうが、恋愛結婚は近代のものだ。
恋愛から始まって、結婚を終点とする騒動は、男女の性別役割分担の露払いである。
恋愛は恋愛でしかなかったものを、恋愛結婚へと変質させたのは、近代の核家族である。
筆者は、なかなか鋭い視点を提出している。
 
男女関係では養う・養われるという前提があるので、義務・責任という概念が生じてきて、弱い立場のものを守るためには関係が長続きすることが重要だったわけですが、その前提がなくなると、当然、関係の持ち方も変わってきます。今日出会って、明日別れたっていいわけです。(中略)
 女同士の関係に限らず、養う・養われるという前提のない自立した人 間同士の関係なら、永続性はもはや重要な問題にはならないし、自分の感情に率直になって、いろいろな人間関係を作ることが可能になります。P202


という筆者の発言には、まったく異論がない。
しかし、筆者の発言は、ここまでである。

 上記の発言からは、諸悪の根元は、終生の一夫一婦制であり核家族制度である、と続きそうであるが、家族論へと進む気配はない。
恋愛を悪し様に言うなら、女性の職業へと展開すべきだった。
しかし、1991年に上梓されたことを考えれば、男性を攻撃するだけではなく、女性の経済的な自立を考えただけでも、良しとすべきだろう。

 「ヒロインはなぜ殺されるのか」というサブタイトルが付いているが、女性が殺される映画を選んだに過ぎないように感じる。
1967年には「俺たちに明日はない」が撮られているし、69年には「イージー ライダー」や「明日に向かって撃て」が撮られている。
ここではヒーローも殺されている。

 1979年には「クレーマー・クレーマー」が撮られているし、論ずべき映画は他にもあるように思う。
なぜ上記の10本を選んだのか、と筆者に聞きたい。
選択の根拠を示さないと、男性社会攻撃のために、筆者に都合の良い映画を集めたと言われかねない。
それを別言すれば、映画を良く見ていると思う。
星を献上する。    (2008.11.03)
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参考:
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
吾妻ひでお「失踪日記」イースト・プレス、2005
荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
ロバート・スクラー「アメリカ映画の文化史 上、下」講談社学術文庫、1995
ポーリン・ケイル「映画辛口案内 私の批評に手加減はない」晶文社、1990
長坂寿久「映画で読むアメリカ」朝日文庫、1995
池波正太郎「味と映画の歳時記」新潮文庫、1986
佐藤忠男 「小津安二郎の芸術(完本)」朝日文庫、2000
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
篠山紀信+中平卓馬「決闘写真論」朝日文庫、1995
ウィリアム・P・ロバートソン「コーエン兄弟の世界」ソニー・マガジンズ、1998
ビートたけし「仁義なき映画論」文春文庫、1991
伴田良輔ほか多数「地獄のハリウッド」洋泉社、1995
瀬川昌久「ジャズで踊って」サイマル出版会、1983
宮台真司「絶望 断念 福音 映画」(株)メディアファクトリー、2004
荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001
奥山篤信「超・映画評」扶桑社、2008
田嶋陽子「フィルムの中の女」新水社、1991
柳沢保正「へそまがり写真術」ちくま新書、2001
パトリシア・ボズワース「炎のごとく」文芸春秋、1990
仙頭武則「ムービーウォーズ」日経ビジネス人文庫、2000 
小沢昭一「私のための芸能野史」ちくま文庫、2004
小沢昭一「私は河原乞食・考」岩波書店、1969
赤木昭夫「ハリウッドはなぜ強いか」ちくま新書、2003
金井美恵子、金井久美子「楽しみと日々」平凡社、2007
町山智浩「<映画の見方>がわかる本」洋泉社、2002
藤原帰一「映画のなかのアメリカ」朝日新聞社、2006
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997


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