匠雅音の家族についてのブックレビュー    味と映画の歳時記|池波正太郎

味と映画の歳時記 お奨度:

著者:池波正太郎(いけなみ しょうたろう)−新潮文庫、1986年   ¥400−

著者の略歴−
 食べ物の話と映画とくれば、もうこれはこたえられない。
思わず、手が伸びるというものだ。
時代劇作家として知られる筆者だが、若い頃は脚本家だった。
そのまえは、兜町の丁稚さんだった。
小学校を卒業するとすぐに社会にでた筆者は、職人たちがその生をいきいきと生きていた最後の人間だろう。
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味と映画の歳時記 (新潮文庫)

 小学校卒業で働きにでるのは、今からみれば貧困の象徴かもしれない。
が、その当時はそれが多くの人の人生だった。
そして筆者は若いながら、自分で稼いだお金で、自由に遊んでいる。
働いているがゆえに、誰からも後ろ指を指されない。
自力で遊ぶこの姿勢は、本当に健康なものだ。

 充分に成熟した身体を持ちながら、子供=働いていないという理由で、行動を制限される現代の若者たち。
農耕社会なら、誰でも10代の半ばから働いた。
そして、大人の仲間入りした。
だから異性とつきあうことも許されたし、酒も飲めた。
それが義務教育とやらのおかげで、子供は働くことができなくなってしまった。

 三井老人は、私の友人・井上留吉の知り合いで、兜町の小さな現物取引店の外交をしていしまたが、いかにも質素な身なりをして兜町へ通勤して来る。どこかの区役所の戸籍係のようで、とても株の外交をしているようには見えなかった。深川の清澄町の小さな家に、二匹の猫と、まるで娘か孫のような若い細君と暮していたが、金はたっぷりと持っていたようだ。P18

 筆者の連載している「剣客商売」の主人公に、三井老人が投影されている、という。
三井老人といったタイプの人は、いまでは見ることのできなくなった人間像である。
この三井老人が、小鍋立てを食している。それが実に旨そうなのである。

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 長火鉢に、底の浅い小さな土鍋がかかってい、三井さんは浅蜊のむき身と白菜を煮ながら、飲んでいる。
この夜、はじめて私は小鍋だてを見たのだった。        
底の浅い小鍋へ出汁を張り、浅蜊と白菜をざつと煮ては、小皿へ取り、柚子をかけて食べる。
小鍋ゆえ、火の通りも早く、つぎ足す出汁もたちまちに熱くなる。これが小鍋だてのよいところだ。
「小鍋だてはねえ、二種類か、せいぜい三種類。あんまり、ごたごた入れたらどうしようもない」
と、三井さんはいった。P21


 食べ物を書くというのは、こういうことをいうのだろう。
どこにも美味いとは書いてないが、この文章からは、その場の雰囲気と、小鍋立ての旨さが伝わってくる。

 それにたいして、後半の映画については、どうも感興が伝わりにくい。
おそらくそれは、私が筆者とは違う時代に生きており、ここにあげられている映画を見ていないからだろう。
もし、嵐寛寿郎や大河内伝次郎そしてフレッド・アステアなどを同時代で見ていれば、膝をたたいて同感できるのだろう。
そう考えると、文字で伝えるのは本当に難しいものだと知る。

 「道」「たそがれの維納」「白き処女地」など、有名無名とりどりみどり、筆者はたくさんの映画を見ている。
それは晩年になるまで変わらなく、週に1本は見たというから、大変な本数になっている。
筆者には、映画について書いた本もあり、筆者の観察眼はなかなかにするどい。

 小学卒業で社会にでた筆者は、今から見ると独特の眼をもっていた。
古き良き庶民といったらいいのだろうか。
フランスやイタリアの下町に生きる男女の機微をよくとらえている。
人間の性分といったものは、職業や環境が作るものだ。
西洋人であろうと日本人であろうと、下町にいきる庶民感覚には、それほどの違いはない。

 フランスやイタリアの映画が衰退したのは、我が国と同様に、庶民感覚に支えられていたからだろう。
この時代の庶民感覚とは、まさに農耕社会の終わりのものだった。
農耕社会が完全に消滅したので、庶民感覚も消滅した。
それにたいして、現代アメリカの庶民映画は、情報社会に生きるから異なって見えるのだ。

 先進国は今後、情報社会を進むのだから、新たな庶民像の創出が不可欠である。
アメリカの情報社会が新たな庶民を生み、それを背景にして新たな映画が生まれている。
フランスやイタリアの映画が立ち直るには、両国の産業の興隆にかかっている。
しばらくはアメリカ映画の時代が続くだろう。
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参考:
ロバート・スクラー「アメリカ映画の文化史 上、下」講談社学術文庫、1995
ポーリン・ケイル「映画辛口案内 私の批評に手加減はない」晶文社、1990
長坂寿久「映画で読むアメリカ」朝日文庫、1995
池波正太郎「味と映画の歳時記」新潮文庫、1986
佐藤忠男 「小津安二郎の芸術(完本)」朝日文庫、2000
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
篠山紀信+中平卓馬「決闘写真論」朝日文庫、1995
ウィリアム・P・ロバートソン「コーエン兄弟の世界」ソニー・マガジンズ、1998
ビートたけし「仁義なき映画論」文春文庫、1991
伴田良輔ほか多数「地獄のハリウッド」洋泉社、1995
瀬川昌久「ジャズで踊って」サイマル出版会、1983
宮台真司「絶望 断念 福音 映画」(株)メディアファクトリー、2004
荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001
奥山篤信「超・映画評」扶桑社、2008
田嶋陽子「フィルムの中の女」新水社、1991
柳沢保正「へそまがり写真術」ちくま新書、2001
パトリシア・ボズワース「炎のごとく」文芸春秋、1990
仙頭武則「ムービーウォーズ」日経ビジネス人文庫、2000 
小沢昭一「私のための芸能野史」ちくま文庫、2004
小沢昭一「私は河原乞食・考」岩波書店、1969
赤木昭夫「ハリウッドはなぜ強いか」ちくま新書、2003
金井美恵子、金井久美子「楽しみと日々」平凡社、2007
町山智浩「<映画の見方>がわかる本」洋泉社、2002
藤原帰一「映画のなかのアメリカ」朝日新聞社、2006
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985
瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001
西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001
菊池勇夫「飢饉 飢えと食の日本史」集英社新書、2000
アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001


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