匠雅音の家族についてのブックレビュー    江戸の組織人|山本博文

江戸の組織人 お奨度:

著者:山本博文(やまもと ひろふみ) 2008年 新潮文庫  ¥450−

 著者の略歴−1957年、岡山県生れ。東京大学文学部を卒業後、同大学院を経て、82年に東京大学史料編纂所へ入所。現在、教授。文学博士。「江戸お留守居役の日記」で、日本エッセイストクラブ賞を受賞。「江戸城の宮廷政治」「島津義弘の賭け」「切腹」「徳川将軍と天皇」「武士と世間」「日本史の一級史料」「お殿様たちの出世」など、著書多数。
 支配者が1人だけいても、国家というものは成り立たない。
国家の支配を支えるには、多くの行政職=官僚が必要である。
それは江戸幕府もまったく同様だった。
将軍をとりまく大勢の武士たちが、江戸幕府を支えていた。

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 江戸時代、すでに戦争もなく、文官が官僚の中心だった。
現在だと、公務員試験などが行政官僚をうみだすが、江戸時代は何をおいても身分と呼ばれる家柄だった。
家柄が低ければ、まず出世はできない。
はんたいに家柄が高ければ、上級官僚へと道が開けていた。

 行政官僚になるには、武士であることが基本だった。
武士であっても、上士、平士、下士とわかれていた。
上士は家老などになる家系であり、平士は実務官僚になる集団である。
下士とは知行を持たないで、現金で給料が支給される人たちで、書記役などの下級職員である。

 武士の身分の違いは、服装、態度、言葉、結婚などすべてに渡っていたという。
上士と下士が結婚することはあり得なかったし、そのため、考え方自体が違っていた。
もちろん教育が違っていたから、上士のほうが教養もあったし、肉体的にも体格が良かった。
だから、必然的に上下関係ができていった。

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 たとえば、江戸町奉行といえば、相当な高官である。
現代でいえば大臣クラスであろうか。
江戸町奉行所は南と北におかれ、1ヶ月毎に入れ替わって、事件を担当していたという。
そして、警察権から、司法権まで、すべてを担当していた。
その彼らは、どんな仕事をしていたのであろうか。

 (江戸)町奉行所は、前述の通りキャリア官僚である町奉行と、ノンキャリア職員である与力・同心によって構成される。町奉行が二、三年からせいぜい五、六年で異動していくのに対し、与力・同心は昇進がない代わりに実質的に世襲が許された身分だった。そのため、職務に対する専門知識は与力・同心集団に蓄積され、町奉行はほとんど素人のようなものだった。
 もちろん、身分的には町奉行の方がはるかに高い。(中略)
 しかし、職務については、与力の思いのままで、与力の方針と奉行の考えが違った時は、おおむね与力の方針で事が進められた。また、与力には、諸大名家や町方の有力者から多額の金品が贈られていたが、町奉行はそうした利権の構造に手が出せなかった。
 江戸時代には、多く名奉行というものが出ているが、それも与力の側から見れば、その手柄は与力があげさせてやったもので、奉行の実力ではなかったのだという。与力・同心には隠然たる力があって、奉行は人形のようなもの、与力・同心が人形遣いだったとされる。P69



 これが当然だろう。
テレビで見るような遠山の金さんや、大岡越前のような奉行がいたら大変である。
個人が判断すれば、恣意に流れてしまうから、かならず組織的な裏付けがあったはずであり、同じような事件には同じような判決がでた。
そうした古い事件を知っているのは、ノンキャリアの職員でしかない。

 町奉行所には、小伝馬町に留置場も併設されていた。
ちなみに江戸時代には懲役刑はなく、判決が出れば即刻に執行されたから、刑務所はなかった。

 江戸幕府の牢獄は、小伝馬町にあった。牢屋敷とも言う。(中略)牢屋敷の中はいくつかの建物があり、身分や性別で分かれた。旗本など身分の高い者が入るのは揚座敷(あがりざしき)といい、御目見得以下の武士や陪臣、僧侶などは揚屋(あがりや)といった。多くの囚人が入れられるのは大牢で、女の囚人は女牢に入れられた。P99

 現代から見れば想像もつかないが、犯罪者であっても身分が違うと、処遇が違うのである。
人を殺しても、身分の高い武士であれば、まったく別格の部屋におかれ、そのうちどこかの藩などへと預かりになった。
しかし、下級武士や庶民であれば、皆一緒に大部屋に閉じこめられた。

 牢屋の人口密度はひじょうに高く、どうしても人があふれたときは、そっと殺して口減らしをしたという。
しかし、武士たちといえども、行政官僚である以上、行政能力が求められる。
江戸幕府が250年以上も持ったのは、武士たちの行政能力がそうとうに高かったためだろう、という。

 コンピューターなどなかった時代、しかも紙が高かったので、記憶することが必要だった。
必要はとてつもない能力を発揮させる。
江戸の武士は記憶力が良かった、と本書はいう。
当たり前の視点から、当たり前に歴史を見た本で、いろいろと教えられた。
 (2009.1.22)
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参考:
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
M・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか」ハヤカワ文庫、1997
早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998
氏家幹人「大江戸残酷物語」洋泉社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、183
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999年
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002年
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年


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