編著者の略歴−1956年大阪府生まれ。1979年愛知教育大学卒業。1985年東京都立大学大学院博士課程単位取得。現在 明治大学文学部助教授。専攻 日本近現代軍事史。主な著書『日本帝国主義の満州支配』(時潮社、共著)、『沖縄戦−国土が戦場になったとき』(青木書店、共著)、『昭和天皇の戦争指導』(昭和出版)、『徹底検証・昭和天皇「独白録」』(大月書店、共著)、『ドキュメント 真珠湾の日』(大月書店、共編著)、『新視点・日本の歴史』6・7(新人物往来社、共編著) 昭和天皇だった裕仁が、受けてきた教育を振り返ったのは「天皇の学校」だった。 そこでは徹底的な帝王教育がなされた、と誇らしげに書かれている。 戦前のこと、もちろん軍事学も重要な科目だった。 古今東西の大戦から戦略的な視点を教え込まれている。
大正天皇の摂政になって以降、我が国は太平洋戦争へとなだれこんでいく。 戦争への道は、軍部が独走したのであり、天皇はひたすら平和を求めていたのだろうか。 天皇は祭式を執り行うだけで、実際に政治にはノータッチだったのだろうか。 裕仁は軍事には素人で、戦争を理解していなかったのだろうか。 帝王学の常識として、そんなことはなかったとしか言いようがない。 軍事を知らない帝王がいるはずがない。 軍事を知らなかったら、支配者であることはできない。 戦前の天皇は、全権力をもっていたのだから、とうぜん軍事にも明るかった。 そして、軍部も詳細な報告をしているし、天皇はさまざまな指示を出している。 それを詳細に分析をしたのが本書である。 1931年におきた満州事変にかぎらず、天皇の立場は西洋諸国と摩擦をおこさずに、日本の領土を拡張することには積極的だった。 関東軍と陸軍中央の満蒙独立論にたいして、天皇は「適当ならさる」と否定的な見方をしている。翌日の拡大容認発言とあわせて考えてみると、天皇は、関東軍による内政干渉(張学良政権否認)・独立政権樹立という穏当ならぎる手法は明らかに嫌悪していたが、張学良政権の存在を認めた上で、それを屈服させることは何ら否定するものではなかったといえる。英米など大国との摩擦を避けつつ、満州において日本の権益が拡大できれば、あるいは軍事力によって国威が発揚できれば、それに越したことはない、という立場である。したがって、日本の権益拡大の手法があまりにも乱暴・露骨な場合や、明らかに英・米など大国との衝突を招きそうな場合には、天皇は強い反発をしめした。P46 天皇が作戦を直接指揮したわけではない。 どんな国でも支配者が直接指揮することは少ない。 むしろ軍事の専門家に報告を求め、承認と指示をだすのが普通である。 我が国では、上奏という形で天皇への報告が行われ、お言葉や下問などさまざまな形で、天皇の意志が作戦遂行部に伝えられた。 大本営が設置されてからは、統帥部が作戦を担った。
日中戦争の拡大期には、しばしば大本営御前会議も開かれ、大陸命も1937年11月11日の大陸命第1号から1941年9月3日までに540件も発令されている。1937年以降は毎年秋に恒例であった陸・海軍の特別大演習と観兵式・観艦式はおこなわれなかったが、航空関係を中心に陸・海軍の各種演習は増え、天皇の軍務も多忙であった。陸軍始・天長節の観兵式は続けられたし、陸士・陸大・海大など軍学校への行幸も平時と同様であった。天皇は、1938年3月の第74帝国議会の開院式には、従来の正装ではなく軍装で臨んだ。戦時意識を高めることをねらったものであろ。P97 大陸令に発令には、天皇の認可が必要だった。 認可を与えるには、メクラ判を押していただろうか。 ふつうの最高権力者の行動であれば、印を押す意味を知って認可していた考えるほうが自然だろう。 メクラ判をし続ければ、組織がどうなっていくか、誰でも判ることだ。 また士気向上の行動をとるのも、最高司令官としては当然だろう。 だいたい、作戦を担う部隊は、戦場の実態を知らないほうが良い。 1人の兵士を見ていたら、作戦など立てようがない。 戦場で死んだ兵士など見れば、作戦の立案がどうしても内輪になる。 だから、最高権力者は閲兵するに止めるのだ。 裕仁は新たな拡大作戦には慎重だった。 しかし、中国戦線で日本軍が勝って、新たな領土を獲得すると、それまで慎重だった姿勢を一変させて褒賞をだしている。 結果が良ければ、すべて良しだった。 ただ帝王として、つねに西洋諸国の目を意識していた。 昭和天皇は、9月6日の御前会議までは、明らかに対英米戦争に慎重な姿勢をとっていた。しかし、近衛内閣の総辞職と東條内閣の成立(10月18日)をへて、11月5日御前会議のころになると統帥部の開戦論に理解を示し、戦争を容認するようになっていた。この2カ月間に昭和天皇に戦争を決断させたものは何か。逆に、天皇が戦争を躊躇していた理由はどこにあったのか。P137 といって、筆者は内奏や上奏の詳細な分析をしていく。 天皇が対英米戦争に慎重だったのは、統帥部が精神論に走り、具体的な戦略・戦術を示さないからだったという。 やがて、陸軍・海軍共に長期持久戦が可能だと言うに及んで、天皇は開戦の決意をした。 実際の作戦に関しては、天皇はそうとうに積極的だった。 そして、天皇の発言が、作戦に大きな影響を与えていく。 杉山(参謀総長)は、天皇とのやりとりの中でラエとサラモア確保、という従来からの方針を強調しているが、現実の作戦は、防備強化という地道なものよりも、敵飛行場破壊・占領という派手なものへと流れつつあった。天皇もこの時は作戦方針の微妙な変化に気がついていない。むしろ従来、東部ニューギニアではきわめて消極的であった陸軍航空部隊の戦果を大いに喜んでいる。しかし、積極作戦を促す天皇の言葉は、陸軍中央のなかに天皇に喜ばれるような戦果を挙げたいという焦燥感を高め、結果としてラエとサラモア確保という陸軍の戦略を知らず知らずのうちに崩してしまうのである。P227 ソロモンなどその後も、天皇は敵を殲滅せよという強い発言をくり返す。 天皇の判断・行動は、大元帥としての自覚と軍人としての知識に基づいていた、と筆者は言う。 本書を読んでいると、資料の読み込みの精確さと共に、失敗続きの組織が最高権力者に迎合するように感じる。 会社などの組織でも、必ずしも業績が上がるとは限らない。 そのときに、実際に業務を担った上級社員が社長に報告・了承を求めるが、天皇の姿勢はその様子とそっくりである。 社長は交代するが、天皇は交代しない。 そのため、組織の自立的な立て直しが効かずに、敗戦へと突き進んでいった。 本書はきわめて説得的に敗戦へのプロセスを描いている。 「失敗の本質」と同様に必読であろう。 (2012.10.27)
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