匠雅音の家族についてのブックレビュー   男同士の絆|イヴ・コゾフスキー・セジウィック

男同士の絆
イギリス文学とホモソーシャルな欲望
お奨度:

筆者 イヴ・コゾフスキー・セジウィック 名古屋大学出版会 2001年 ¥3800−

編著者の略歴−1950年オハイオ州生まれ。アメリカ合衆国の社会学者、文学研究者。専門は、ジェンダー論、クィア理論。コーネル大学卒業後、イェール大学で博士号取得。ハミルトン・カレッジ、ボストン大学、アマースト大学、デューク大学、ニューヨーク市立大学大学院センターで教鞭を執った。2009年、乳癌のためニューヨークに死す。

 初版は、1985年にコロンビア大学から出版されている。
この頃は、エイズが蔓延し始め、ゲイたちには厳しい時代だった。
そんな背景もあって、ゲイは現実から距離を取り始めており、文学研究へと重心が移動していたのではないか。
本書もそんな流れの中で書かれたものだろう。

 筆者は18世紀中頃から19世紀中頃のイギリス文学に、同性愛的な要素を見つけていく。
その中で、男性同士が同性愛好的(ホモソーシャルな))社会を形成し、かつ同性愛嫌悪症(ホモフォビア)をもはらんでいる構造を分析していく。
筆者の分析パターンは三角形である。三角形の頂点に女性をおき、底辺の両端に男性をおく。
この関係で男性は女性を巡ってライバルでありながら、同性愛的な関係を作ることを述べていく。
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 三角形に関してはおくとしても、時代を近代に限ってしまえば、筆者のいう通りであろう。
近代核家族の形成は、資本主義の要請によるものであり、性別役割分業を原則としている。
1対の男女がカップルをつくって結婚する前提だから、ゲイが排除されるのは当然だろう。
そして、男性にしか職場を用意しなければ、職場は男性の同性愛好的社会になるのも当然である。

 本書では女性同性愛については論じないと言うが、こうした立論である限り女性同性愛は登場しようがない。
女性は家庭にしか生きる場所がなく、家庭は社会から切れているのだから、女性同士の連帯は生まれようがない。
男性たちは力を合わせて仕事に取り組むが、家事は個別的な仕事でしかない。
近代核家族による限り、女性同士が同性愛好的社会をつくる契機はない。

 筆者は自分の立論の枠が、近代しか有効ではないことを自覚している。
そのため、次のように書く。

 歴史的に家父長制は、野蛮にしかもほとんど際限なく同性愛を迫害してきた。たとえばルイス・クロンプトンは、迫害の歴史を丹念に辿りつつ、それは大量虐殺の歴史であったと論じている。また現代社会に目を向けても、やはり同性愛は徹底的に嫌悪されており、ホモフォビアは(対男性にせよ、対女性にせよ)、恣意的に生まれたものでもなければ、わけもなく生まれたものでもない。(中略)
 しかし、大抵の家父長制には構造上ホモフォビアが組み込まれているので、家父長制は構造的にホモフォビアを必要とする、と結論を出すにはまだ議論の余地があるだろう。P5


と言って、古代ギリシャの同性愛の例を出す。
ギリシャは家父長制をとりながらホモフォビアがなかったという。
そこで筆者は、男性と女性のホモソーシャル性は歴史的に異なっているという。
 
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 男性支配社会では、男性の(同性愛を含む)ホモソーシャルな欲望と家父長制の力を維持・譲渡する構造との問に、常に特殊な関係が−潜在的に力をもちうる、独特の共生関係が−存在するのだ、と。時代によってその関係は、イデオロギー上はホモフォビアとして、あるいは同性愛として顕れるだろうし、そうでなければ、このふたつがひどく反発し合いながら強烈に構造化され組み合わさって顕れることもあろう。P38

 歴史上ほとんどの社会が、家父長制であった。
しかし、家父長制下ではホモ大好き社会のほうが多かっただろう。
筆者は少年愛や男色といったホモと、ゲイを混同している。
ホモとゲイを同じものと考えるから、同性愛に対して表れ方が違うと言う結論になる。
そこで筆者は、歴史における一般法則を立てることを放棄し、近代のイギリス文学へと限定してしまう。

 近代イギリス文学のなかであれば、〈同性愛は徹底的に嫌悪されており〉と言える。
しかも、ここで嫌悪された同性愛はゲイである。
それは前述したように、資本主義が女性に職業を用意できず、核家族を性別役割分業の上にしか構築できなかったから、ゲイという同性愛は徹底的に嫌悪されたのだ。
同性愛をホモとゲイの区別なしに論じれば、筆者のような立論にならざるを得ない。
しかし、それでは近代の意味が抜け落ちてしまうだろう。

 近代に限った分析では、筆者のいうことに大筋では異議はない。
しかし、疑問に感じた部分が3ヶ所ある。

 イギリス人(今世紀ならアメリカ人)が特に貧しい地域や国へ観光旅行するのは、幻想が欲求するままに、社会全体を自分のものにして脚色することができるからである。これは、性的な幻想についてはおそらく特に当てはまるだろう。私の知人が旅していわく、日本でよく見かける英語入りTシャツ(たとえば、「一日猛烈にスポーツをして汗を流そう」など)の中で群を抜いて人気があるのは、ひとこと「セクシュアリズム」と書いたものだという。P112

 第1と第2の文はその通りであるが、〈私の知人が〜〉以降はちょっと首をひねる。
群を抜いて誰に人気があるのだろうか。
群を抜いてアメリカ人に人気があるなら、ボクは論じる立場にはない。
しかし、「セクシュアリズム」というコピーが、日本人に人気があるとなると否定せざるを得ない。

 権利と自由を主張するアメリカ黒人は集団リンチに脅威を感じたが、仮に彼らが漠然と「誰かが」だけでなく、具体的に「誰が」殺害されるか、という点まで知っていたら、リンチは、彼らに対する強力な武器にはならなかっただろう。アメリカ南部では、労働力の支配が闘争の争点だったので、黒人を大虐殺するわけにはいかなかった。P135

 誰が殺害されるかを知っていれば、殺される者以外には脅威になりにくいだろうが、リンチは一回だけではない。
とすれば、誰が殺されるか知っていても、リンチは脅威になるはずである。
黒人労働力が不可欠だから、黒人を大虐殺するわけにはいかないというのは、後知恵であり、リンチの渦中にいる黒人には知りようがない。
この文章が書けるのは、筆者が暴力の対象になったことのない白人だからではないか。
ずいぶんと傲慢な感じがする。

 学生時代は同性に欲望を抱き、成人するとホモフォビアをもつようになるという、ゆっくりではあるがはっきりとした二段階のこの過程は、中産階級の「ジェントルマン」という比較的新しい階級に入るべく、そのための教育を受ける際に生じる強い不安と、関係があるように思われる。P270

 学生時代は同性に欲望を抱くのは、男女別学だからではないか。
近代初期では、男性だけがエリートとして高等教育を受けてきた。
女性が学ぶ場にいなければ、同性に興味を感じざるを得ない。
それを同性に欲望を抱くというのは、牽強付会のように感じる。
たとえ、男女同学であっても、男性がエリートに見られている社会では、男性同士でホモソーシャルな関係ができるだろう。

 筆者はよく勉強しているように感じるが、白人としての人種優越意識が強いようにも感じる。
アメリカ人でありながら、イギリス文学を対象にしているのも、優秀な女子学生だったからではないか。
フランス現代思想にかぶれたことと言い、田舎に生まれたアメリカ人の、ヨーロッパ・コンプレックスの現れじゃないだろうか。
そんな気がして仕方ない。
ひょっとするとユダヤ人の名門セジウィック家の一員かも知れないが…。

 おそらく筆者はゲイだと思うが、男性のゲイについては知らないのではないか。
「まえがき」にそんなことが書いてあるが、本文を読んでいても、男性ゲイには無知だと思うわせる記述がある。
クローゼットの認識論」とは翻訳者が違うためか、いくらか読みやすいが、やはり観念の未消化が目立つと思う。   (2011.5.6)
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参考:
早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998
松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年
ポール・モネット「ボロウド・タイム  上・下」時空出版、1990
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001
伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と 共に歩んだ30年」河出書房新社、2001
モートン・ハント「ゲイ:新しき隣 人たち」河出書房新社、1982
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996

尾辻かな子「カミングアウト」講談社、 2005
伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」 ポット出版、2002
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
及 川健二「ゲイ パリ」長 崎出版、 2006
礫川全次「男色の民俗学」 批評社、2003
伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房 新社、2001

リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996
稲垣足穂「少年愛の美学」河出 文庫、1986
ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」 哲学書房、1987
プラトン「饗 宴」岩波文庫、1952
伏見憲明「ゲイという経験」ポット出 版、2002

東郷健「常識を越えて オカ マの道、70年」 ポット出版、2002
ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」 現代書館、2002
早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001
神坂次郎「縛られた巨人」 新潮文庫、1991
風間孝&河口和也「同性愛と異性愛」 岩波新書、2010
匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997
井田真木子「同性愛者たち」文芸春秋、1994
編ロバート・オールドリッチ「同性愛の歴史」東洋書林、2009
ミッシェル・フーコー「快楽の活用」新潮社、1986
アラン プレイ「同性愛の社会史」彩流社、1993
河口和也「クイア・スタディーズ」岩波書店、2003
ジュディス・バトラー「ジェンダー トラブル」青土社、1999
デニス・アルトマン「ゲイ・アイデンティティ」岩波書店、2010
イヴ・コゾフスキー・セジウィック「クローゼットの認識論」青土社、1999
デニス・アルトマン「グローバル・セックス」岩波書店、2005
氏家幹人「武士道とエロス」講談社現代新書、1995
岩田準一「本朝男色考」原書房、2002
海野 弘「ホモセクシャルの世界史」文芸春秋、2005
キース・ヴィンセント、風間孝、河口和也「ゲイ・スタディーズ」青土社、1997
ギィー・オッカンガム「ホモ・セクシャルな欲望」学陽書房、1993
イヴ・コゾフスキー・セジウィック「男同士の絆」名古屋大学出版会、2001

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