著者の略歴−神奈川県生まれ。横浜国立大学学芸学部卒。日本ペンクラブ会員。1982年、「薬に目を奪われた人々」で、第一回潮賞ノンフィクション部門受賞。1992年~2004年埼玉県新座市議会議員。著書に『なみだの選択』(1983年、潮出版社)、『危ないインフルエンザ予防接種』(1984年、社会評論社)、『フツーのおばさんが見た北朝鮮』(2010年、元就社)など。 心の性と身体の性が一致しない「性同一性障害」を扱った本はたくさんある。
本サイトでも、2000年に出版された吉永みち子の「性同一性障害」をすでに取り上げている。 本書は75歳の矢矧晃子(男性時の名前は章二郎)が性転換手術をするまでの様子と、31歳の上嶋守(仮名)の3.11東日本大震災を通る中での、話を追ったドキュメントである。 第1部が2人を日記風に追ったドキュメントで、第2部が性同一性障害者をとりまく一般的な状況である。 矢矧晃子は男性として生まれ、結婚して子供までもうけた。 しかし、女性になりたいという希望に従って、離婚してタイにわたって男性器を除去する手術をした。 年齢を考えて、造膣手術まではせずに、ホルモン投与で女性的な外見をつくってきた。 菜穂子という良き伴走者をえて、矢矧は希望を実現していく。 もう一人の上嶋は女として生まれたが、男性の心をもっていた。 彼女は女性の身体のまま、秋葉めぐみを恋人にしていく。 上嶋は男としていきたいという希望は持っているが、性転換手術をするまでには至らずに、本書は終わっている。 社会には男はかくあるべし、女はかくあるべしといった規範があり、その規範から外れる彼(女)らは苦しむという。 医学が未発達の時代なら、身体の性別に心の合わせざるを得なかった。 しかし、医学の進歩した現代では、心の性差に身体の性別を合わせることができるようになった。 しばしば巷間話題にのぼる性同一性障害者も、性的少数者には違いないが、実は性同一性障害者は比較的数が少ない。 最も多いのは、何と言ってもゲイである。次に多いのは、性分化疾患の人である。 性同一性障害者が完全な男性器や女性器をもって生まれてくるのに対して、性分化疾患は性別が判別不明で生まれてくる。 性別は男か女しかなく、出生後2週間以内に出生届をださなければならないので、医者と親によって強引にどちらかに決められてしまう。 そのため、第二次性徴が現れる頃になると、さまざまな不都合が生じることがある。 決めたのと反対の性的特徴があらわれたりすることもあり、むかしから変性子と呼ばれていた。 しかし、性分化疾患の当事者は生まれたばかりで、意思表示のしようがない。性分化疾患は現在のところ対処のしようがない。 医者や親も本人の幸せを願って性別を決めるだろうが、性別を決める要素は複雑で、性同一性障害者のように簡単に性転換というわけにはいかない。 対処のしようがないから、性同一性障害者の10倍以上いると言われながら、彼(女)たちへの関心は低いままである。 本書は性同一性障害者が苦しむのはかわいそうだという、同情心に溢れており、この手のドキュメントの定番的記述である。 移民を扱えば移民はかわいそうだ、障害者を扱えば障害者はかわいそうだ、とセンチメンタルな思い入れたっぷりになるのは、筆者のアプローチからして仕方なのだろう。 かわいそうだとの同情心から発する行動は、時に差別的な視線を含むことがあるのだが、それは問わないことにしよう。 問題は第2部の方である。下記の条件を満たすと、戸籍の性別変更ができる。 1.20歳以上であること 2.現に婚姻をしていないこと 3.現に未成年の子がいないこと 4.生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること 5.他の性別の性器の部分に近似する外観を備えていること いわゆる性転換手術は、外国でもできるので、性転換手術の件数をもって、性同一性障害者の人数というわけにはいかない。しかし、戸籍の性別変更者は、一つの目安になるだろう。
戸籍の性別を変更した数は2004年以降、年々増加の一途をたどっている。2010年は527人で、初めて500人を上回り、2011年はさらに増えて609人。これまでの総数は2847人となった。最初の2004年から、2005年の数は、336人で、カルーセル麻紀や虎井まさ衛のように、すでに、国外で性別適合手術を済ませた人が一斉に変更を求めたためで、その後は数が減少するのではないかと、当初は予測されていたが、それを覆す結果となり、潜在する当事者の数の多さを示している。 P293
潜在する当事者の数は多いかも知れないが、男女の性比は105対100で変わっていない。 しかも、この男女性比は人種や時代をこえて変わらないのだ。にもかかわらず、性同一性障害者が増えていることは何故なのだろうか。 それは生まれつき身体の性別とは反対の性的心をもった人、というのが間違いなのではないか。 性別とは肉体的な性別で、神様だけが創造しうるものだ。しかし、心とは生まれながらと言いながら、妄想でしかない。 生まれつきの性同一性障害者が増えているのではないだろう。おそらく、性分化疾患の人のなかから、時代の揺れにしたがって、性同一性障害者へと変わっているのだろう。 だから中高年になってから性転換する人が出てくるのだ。 性自認だけで性転換を認める海外では、マンガのような事故が多発している。 性別は事実であり、性差は妄想なのだから、性別を変えるためには事実としての肉体を変える必要がある、と当サイトは考える。 本書は世界は性転換の規制を緩める方向にあり、世界の趨勢に遅れるなと示唆している。 しかし、性転換したが後悔して、元の性に戻りたいという人も、いることにはまったく触れていない。 自分の精神を固定的に捕らえて、○○することは無理! という風潮があるが、心に合わせて身体を改造してしまうことは、はたして良いことなのだろうか。 (2021.9.20)
参考: 伊藤友宣「家庭という歪んだ宇宙」ちくま文庫、1998 永山翔子「家庭という名の収容所」PHP研究所、2000 J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957 末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994 梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988 J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957 ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965 楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005 シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000 鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004 ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006 水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979 細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980 モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992 R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987 ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952 斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003 光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009 フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001 匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997 ミシェル・ペロー編「女性史は可能か」藤原書店、1992 マリリン・ヤーロム「<妻>の歴史」慶應義塾大学出版部、2006 シモーヌ・ド・ボーボワール「第二の性」新潮文庫、1997 亀井俊介「性革命のアメリカ」講談社、1989 イーサン・ウォッターズ「クレージ・ライク・アメリカ」紀伊國屋書店、2013 エイミー・チュア「Tiger-Mother:タイガー・マザー」朝日出版社、2011 清泉 亮「田舎暮らしの教科書」東洋経済新報社、2018 柴田純「日本幼児史」吉川弘文館、2013 黒川伊保子「妻のトリセツ」講談社α新書、2018 先崎学「うつ病九段」文藝春秋、2018
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