編著者の略歴−スタンフォード大学女性・ジェンダー研究所上級研究員。ジェンダー問題に対する長年の業績が認められ、1992年フランス政府より「フランス政府教育功労賞」を受賞。著書に『乳房論』(筑摩書房)などがある。 エンゲルスやモルガンの影響か、人類の初めには女性が主権を持っていたが、私有財産制の発達に伴い男性支配が始まったと言われたものだ。 しかし、歴史をさかのぼれば、女性差別は強くなるばかりである。 元始、女性は太陽であった、と言う人はさすがいなくなった。 「<夫>の歴史」という本が書かれることはない。 「<妻>の歴史」という本が書かれること自体が、女性が抑圧されてきた証拠である。 それにしても、なぜ女性が差別されてきたのか。 なぜ大学フェミニズムはその理由を考えないのだろうか。
今では時代を遡れば遡るほど、男性支配が強かったというのが定説になっている。 そうだろう。 非力な女性たちが、屈強な男性に拮抗して、対等な地位を築いたとは思えない。 男女の肉体構造は今も昔も変わらない。 そのなかで女性が社会的な台頭をしてきた。 とすれば、女性台頭の原因は、社会の変化にあると考えるのが妥当だろう。 屈強な肉体的腕力を不要とする社会が到来しつつあるから、女性も社会的な活動ができるのだ。 しかし、妊娠・出産にまつわる属性は、いまでも女性を劣位におきやすい。 かつて社会的な劣位にあった女性は、妻という立場におかれざるを得なかった。 妻は男性に養われ保護されると同時に、その男性の世話をし、その男性の子供産み、家庭の中で生活してきた過程を、本書は細かく描いている。 はじめに <妻>は絶滅の危機に瀕した種か? 第1章 古代社会における妻たち−聖書、ギリシャ、ローマのモデル 第2章 中世ヨーロッパにおける妻たち(1100年〜1500年) 第3章 ドイツ、イングランド、米国におけるプロテスタントの妻たち(1500年〜1700年) 第4章 米国とフランスにおける共和主義者の妻たち 第5章 ヴィクトリア朝時代の大西洋両岸の妻たち 第6章 ヴィクトリア朝時代の米国の開拓最前線の妻たち 第7章 女性問題と新しい女性 第8章 米国におけるセックス、避妊、妊娠中絶 第9章 妻たち、戦争、労働(1940年〜1950年) 第10章 新しい<妻>へ(1950年〜2000年) という章立てで、西洋社会の妻像の変遷を扱っている。 時代を遡れば遡るほど、女性は男性の所有物になっていくのが、はっきりと書かれている。
というのが、随分と長く続いたのだ。 基本的に、女性は結婚しなければ生活ができず、結婚したら夫に扶養された。 こうした状況に、現代の女性たちは反発し、当然のこととして自立の道を選んでいる。 しかし、いまでも教会での結婚を選べば、花嫁は父親に導かれてヴァージン・ロードを歩き、司祭の前で待つ夫へと引き渡されている。 これは父親の所有から夫の所有へと、移ることの象徴である。 また、ミス○○からミセス○○になるというのも、所有権が移動したことの現れだろう。 カソリックはセックスする女性は、しない女性より穢れていると考えていた。 そのため、結婚はセックスすることだから、既婚女性は独身女性より劣位だと扱った。 プロテスタントがはじめて、結婚とセックスを認め、既婚女性の劣位を解き放ったのだ。 しかし、プロテスタントであっても、女性にとって結婚は男性に仕えるものだった。 結婚は女性にとって無条件の恩恵からは程遠かった。結婚が意味したのは、自由を手放し、夫に従属することだ。夫の権威、気まぐれ、そして時には拳を受け入れることを意味し、夫婦間の折り合いの悪さや、そうした結婚生活において女性たちが経験した継続的な精神的緊張のリスクを背負うことを意味した。17世紀初期の医師ロバート・ネイピアによる、精神疾患で加療した千人以上の女性患者の記録は、彼女たちが特に娘や妻として経験した抑圧に苦しんでいたと結論付けている。P156 19世紀まで、とにかく女性には厳しい時代が続いてきた。 工業生産が軌道に乗り始めた19世紀の後半になって、やっと女性解放の運動が広まり始めた。 なにせ、この時代まで、夫は妻を親指より細いムチなら打っても良い、と法律が認めていたのだ。 工業社会の発展は、直接的な肉体的な屈強さを無化し始めた。 女性の腕力でも、できる仕事が増えてきたのだ。 それに伴って、女性も社会進出が可能になり、男性の支配下から脱することができるようになった。 経済的に自立していることこそ、女性の人権を保障する基盤なのである。 先行する女性たちが時代を切りひらいてきた。 女性にとって良い時代になった。 女性が保護の対象である限り、男性は女性を保護せざるを得ず、独立した人格と見ることはできない。 女性が男性同様に職業を遂行できるような社会にしなければならない。 (2011.6.4)
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