匠雅音の家族についてのブックレビュー   「レズビアン」という生き方−キリスト教の異性愛主義を問う|堀江有里

「レズビアン」という生き方
キリスト教の異性愛主義を問う
お奨度:

筆者 堀江有里(ほりえ ゆり)    新教出版社 2006年 ¥2200−

編著者の略歴− 1968年8月19日(バイクの日)生まれ。京都市東山区生まれ。逗子市池子育ち。横浜共立学園中学・高校、同志社大学神学部、同大学院神学研究科博士課程前期課程修了。大阪大学大学院人間科学研究科博士課程前期課程修了。現在、信仰とセクシュアリティを考えるキリスト者の会(ECQA)代表、花園大学非常勤講師、日本基督教団牧師。専門分野は、社会学、レズビアン・スタディーズ。愛車は、スズキGrass Tracker Big Boy(二輪)、スズキJimny(四輪)。
 何を言いたいのだがよく判らない本である。
おそらく本人もレズビアンであることが、どんなことだか良く判っていないのだろう。
レズビアンとゲイとは違うという。
男性支配社会で、レズビアンは女性であるという理由で差別され、同性愛者という理由で二重に差別されるという。

 筆者から聞こえてくるのは、レズビアンであるがゆえに、社会にどんな貢献ができるかではない。
被害者としての声である。
異性愛主義が蔓延している中で、自分は女性という同性を性的に指向しているので、差別されているという。
いくつか差別されている事実をあげているが、いずれも些細なことのように感じる。
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 筆者はプロテスタントの牧師である。
レズビアンであるがゆえに、筆者は仕事の可能性を絶たれたという。
カソリックほどではないだろうが、プロテスタントも保守的な宗教である。
新約聖書を中心にしていながら、いまだに1対の男女でのセックスだけを認めているに過ぎない。

 日本人にとってのキリスト教は、多いに問題があるはずである。
なぜ筆者が、プロテスタントに拘るのかが、本書からではまったく判らない。
<ジェンダーを越境すること>として、性同一性障害についての内田樹の発言を引用しているが、内田の発言を誤解しているようだ。

 レスビアンであることに悩み、自殺を考えた人もいるから、性指向は重大事なのだという。
異性指向であっても性指向は大切である。
望みの異性と結ばれないことを悲観して、心中した男女は歴史の中には膨大にいる。
けっして同性愛者だけが性に悩んだのではない。

 「同性愛者である」ことは、わたしが「誰とパートナーシップを築くか」、「どんな関係を築いていくか」という意味合いで受け取られる限りにおいては、第三者に直接的な「害」は及ぼさないと判断されうる。つまり、個人的なパートナーシップの問題として語れば、直接的な利害関係のない範囲では、「同性愛者である」ことは許容される。しかし、差別に公的に抗うことは、”わたし”と”あなた”を取り巻いている異性愛主義という〈規範)に異議申し立てをすることである。であれば、必然的に誰もが〈自己切開)を伴うはずのものである。それまで「自明のもの」とされてきたことが覆されようとするのだから。いや、少なくとも、それを問おうとするのだから。であるから、「課題」として列挙されているうちは許容されつつも、実際に差別に抗おうとする行動に参与すると「反発」を導き出してしまうわけだ。P55

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 差別に公的に抗うとは、どういうことを意味するのだろうか。
レズビアンであっても学校教育は受けられるし、選挙で投票も立候補もできる。
信仰の自由もあるし、職業選択の自由もある。
もちろん銀行融資やアパートへの入居を拒否されたこともないだろう。

 性指向だけではなく、多数者がつくった社会に、新たな価値観を持ちこんで、認めさせるのは至難のことである。
若者が起業するのだって、差別的な対応に出会う。
むしろ、筆者は牧師になっているし、大学講師にもなっている。
随分と恵まれた人生だと思う。
レズビアンでなくても、こんな人生を歩ける人は少ない。

 筆者は結婚に関して次のように言っている。

 わたしはあえて、「婚姻」の〈解体)という選択肢を支持したいと思う。現実的には、「理想論」にしか聞こえないかも知れない。しかし、とりわけ、天皇制というシステムを持つ日本で、戸籍制度を問いながら、様々な「平等」を求めていくのであれば、(解体)しかないように思えるのだ。P133

 結婚制度の解体が、何を意味するかイマイチ判らない。
もし、法律的な制度としての終生の一夫一婦な核家族の解体であれば、すでに韓国では2008年になされている。
韓国ではすでに個人籍になっており、夫婦単位ではない。
もちろん結婚という風習はあるが、必ずしも我が国の結婚制度と同じではない。

 何よりも不可解なのは、男女の結婚式で牧師として行動しているのだ。
結婚式で牧師がすることといったら、神にかけて男女を結びつけることのはずである。
結婚の解体をいう筆者が、牧師として結婚式を行うことは矛盾している。

 筆者は職業として牧師を選んだらしいが、自己の信念を貫徹させ得る職業は他にあるだろう。
牧師を単に生活のために選んだとは思えないから、生き方に反する職業を続けることは背信的な行動である。

 筆者はレズビアンだと言いながら、性的な世界はプライバシーだと言って、自己の性的な世界を語らない。
愛する者のあいだで、セックスのない人間関係など考えられないではないか。
レズビアンが如何に素晴らしいか。
パートナーとの間には充実したセックスがあると言うことこそ、レズビアンへと共感を呼ぶ道である。
目眩く性の世界を語らないのは、筆者にキリスト教徒特有のセックス・コンプレックスがあるためだろうか。

 筆者に限らず、K・ヴィンセント、風間孝、河口和也、尾辻かな子、それに伏見憲明などなど、同性愛者であることを公言する人が増えた。
彼(女)たちが多くの本を書いている。
それらに共通に感じられるのは、差別されていると訴えるだけで、誰も同性愛の素晴らしさを描かないのだ。
これは奇妙なことだ。  (2011.6.8)
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参考:
早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998
松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年
ポール・モネット「ボロウド・タイム  上・下」時空出版、1990
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001
伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と 共に歩んだ30年」河出書房新社、2001
モートン・ハント「ゲイ:新しき隣 人たち」河出書房新社、1982
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996

尾辻かな子「カミングアウト」講談社、 2005
伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」 ポット出版、2002
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
及 川健二「ゲイ パリ」長 崎出版、 2006
礫川全次「男色の民俗学」 批評社、2003
伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房 新社、2001

リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996
稲垣足穂「少年愛の美学」河出 文庫、1986
ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」 哲学書房、1987
プラトン「饗 宴」岩波文庫、1952
伏見憲明「ゲイという経験」ポット出 版、2002

東郷健「常識を越えて オカ マの道、70年」 ポット出版、2002
ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」 現代書館、2002
早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001
神坂次郎「縛られた巨人」 新潮文庫、1991
風間孝&河口和也「同性愛と異性愛」 岩波新書、2010
匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997
井田真木子「同性愛者たち」文芸春秋、1994
編ロバート・オールドリッチ「同性愛の歴史」東洋書林、2009
ミッシェル・フーコー「快楽の活用」新潮社、1986
アラン プレイ「同性愛の社会史」彩流社、1993
河口和也「クイア・スタディーズ」岩波書店、2003
ジュディス・バトラー「ジェンダー トラブル」青土社、1999
デニス・アルトマン「ゲイ・アイデンティティ」岩波書店、2010
イヴ・コゾフスキー・セジウィック「クローゼットの認識論」青土社、1999
デニス・アルトマン「グローバル・セックス」岩波書店、2005
氏家幹人「武士道とエロス」講談社現代新書、1995
岩田準一「本朝男色考」原書房、2002
海野 弘「ホモセクシャルの世界史」文芸春秋、2005
キース・ヴィンセント、風間孝、河口和也「ゲイ・スタディーズ」青土社、1997
ギィー・オッカンガム「ホモ・セクシャルな欲望」学陽書房、1993
イヴ・コゾフスキー・セジウィック「男同士の絆」名古屋大学出版会、2001
スティーヴン・オーゲル「性を装う」名古屋大学出版会、1999
ヘンリー・メイコウ「「フェミニズム」と「同性愛」が人類を破壊する」成甲書房、2010
ジョン・ボズウェル「キリスト教と同性愛」国文社、1990
堀江有里「レズビアン」という生き方」新教出版社、2006

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