著者の略歴−1943年ニューヨーク生まれ。カリフォルニア大学バークレイ校修士課程修了。40年近いキャリアをもつサイコセラピスト。心理療法士であり、長年男性の心理や行動に関する研究を続け、著作も数多い。特に「男性更年期」の研究には日夜精力を傾注しているが、その情熱は自身の父が40代で自殺未遂、失踪など深刻な状態を経験したことに遠因があるという。現在は母校で教鞭をとるほか、多くの大学で講義を行い、各種団体の長を務め、毎週のように講演に飛び回るという多忙な日々を送る。5人の子供と8人の孫に恵まれ、カリフォルニアで妻と暮らしている。 女性の更年期障害は、すでに周知のことであり、それへの対応書もたくさん出版されている。 しかし、男性には更年期があるのか、が最近になって言われ出した。 もちろん、男性にも更年期はあり、更年期障害もある。 50歳を過ぎた頃、ひどく汗をかく時期のあった私の体験からだけでも、はっきりそう言える。 筆者は男性の更年期の特徴を次のように言う。 最もよくみられる肉体的徴候とは
・けがや病気から回復するのに時間がかかるようになる ・肉体活動に粘りがなくなる ・太っていると感じたり体重が増えたりする ・細かい文字を読むのが大儀になる ・忘れっぽくなったり物忘れをしたりする ・髪が薄くなったり無くなったりする 最もよくみられる心理的徴候とは ・いらいら ・優柔不断 ・不安と恐れ ・うつ ・自信や喜びの喪失 ・人生の目的や方向の喪失 ・孤独感や、自分に魅力がなく人から愛されていないと感じること ・忘れっぽくなり、集中するのがむずかしくなる 最もよくみられる性的徴候とは ・セックスへの興味が減退する ・セックスへの不安や恐れが増大する ・パートナー以外の人とのセックスを夢想することが増える ・パートナーとの間に、セックスや愛情に関する問題やいさかいが多くなる ・性行為中の勃起不全(ED) P8 今まで、男性は強くなければならなかった。 中年の立派な男性が、女々しく弱音を吐くなんてことは、許されなかった。 また、女性は更年期で生理が止まり、生殖能力を失うが、男性は更年期を過ぎても、わずかながら生殖能力を保つ。 おそらくそのせいだろう、男性の更年期障害は、ほとんど注目されなかった。 しかし、男女平等の波が、男性の更年期にもやっと目を向けさせ始めた。 筆者は、男性の更年期障害に半信半疑だったが、男子にも更年期障害があることを認め出す。 しかし、いささか気になるのは、筆者が古き良き男性像に、微かな期待をつないでいることだ。 女性運動は「古風な父親」の支配から女性を解放する手助けをし、そのおかげで女性の役割は一気に拡大した。古風な女性の役割が女性にとって窮屈であったのと同様に、古いモデルに縛られていた男性の窮屈さにも関心が寄せられるようになった。 しかしながら、古風な父親になり代わる新しい父親像が確立されたわけではない。それどころか逆に、「古風な父親」を「古風な父親の正反対」とすげかえたのだった。かくして男性は経済的に自分の子どもを扶養するつもりもない父親となり、女性と対等なパートナーであるより自分自身が子どものように振る舞うようになった。しごく感情的で涙もろく、「女房が何でも知っている」と信じ、ついには勢力を女性にあけ渡して家の奴隷となり果てた。よく気付き親切だが、根性や勇気に欠ける父親である。P92
しかし、男性は親になることは、自然のメカニズムとして組み込まれてはいないので、作為的な作業をしないと親になれない。 父親の役割や仕事は、観念つまり社会的な約束事が支えていた。 だから、社会が変化すると、父親像も変化する。 それに対して、女性の親像は変化しないように見える、と筆者は考えているようだ。 しかし、そんなことはない。 出産によって女性は親になるが、女性だって親を演じるには、社会的な約束事の支えが必要である。 女性は今までの母親像から、解放されて自由になった。 女性解放によって、女性は男性と同じになろうとしたので、まずは男性役割を実践すれば良かった。 女性の台頭に対して、男性はそのままの生き方を持続すればいいのだが、女性が男性化してくれば、その影響を受けざるを得ない。 しかし、男女が等質化している現在、性別による父親役割や母親役割は、無意味となってきている。 「よく気付き親切だが、根性や勇気に欠ける父親」では、なぜいけないのだろうか。 筆者は、あくまでも性別にこだわり、男性が父親、女性が母親をはたす構造から、どうしても抜け出すことができない。 シングルマザーの父親不在を、克服不可能のことのように語る。 たしかに人間の成長にとって、両性の成人がいる方が自然だろう。 しかし、人類の歴史は、不自然への収斂である。 同性だけで子育てをしても、まったくかまわないし、単親で子育てをしても問題はない。 特異な親からは、一時的に特異な性格の子供たちが誕生するかも知れないが、そうした特異さは時間が標準化してくれる。 子供はどんな環境にも適応する。 父親像や母親像は、生物的な性別によるだけではなく、社会性のたまものである。 だから、父親になれるのは男性だけではないし、母親になれるのも女性だけではない。 強力な教育者である父親がいないと、子供は男性に対して尊敬の念を失うことはない。 社会が個人を尊敬していれば、子供も個人を尊敬する。 男性が女性を尊敬していれば、子供は女性を尊敬するし、女性が男性を尊敬していれば、子供は男性を尊敬する。 旧来からの性別役割から、筆者はどうしても自由になれず、父親像を男性としての子供の教育者として捉えている。 肉体的な男性であることや女性であることは変えられないが、父親像や母親像は社会の産物だから、時代によって変わるものだ。 男性の更年期を認めているがゆえに、発想が肉体に拘束されてしまうのだろうか。 更年期という生物的な事実と、人間の意識という関係性の問題を、 同位相で捉えているように感じる。 (2005.08.22)
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