匠雅音の家族についてのブックレビュー      男の更年期|ジェド・ダイアモンド

男の更年期 お奨度:

著者:ジェド・ダイアモンド  新潮社、2002年   ¥1900−

 著者の略歴−1943年ニューヨーク生まれ。カリフォルニア大学バークレイ校修士課程修了。40年近いキャリアをもつサイコセラピスト。心理療法士であり、長年男性の心理や行動に関する研究を続け、著作も数多い。特に「男性更年期」の研究には日夜精力を傾注しているが、その情熱は自身の父が40代で自殺未遂、失踪など深刻な状態を経験したことに遠因があるという。現在は母校で教鞭をとるほか、多くの大学で講義を行い、各種団体の長を務め、毎週のように講演に飛び回るという多忙な日々を送る。5人の子供と8人の孫に恵まれ、カリフォルニアで妻と暮らしている。

 女性の更年期障害は、すでに周知のことであり、それへの対応書もたくさん出版されている。
しかし、男性には更年期があるのか、が最近になって言われ出した。
もちろん、男性にも更年期はあり、更年期障害もある。
50歳を過ぎた頃、ひどく汗をかく時期のあった私の体験からだけでも、はっきりそう言える。

 筆者は男性の更年期の特徴を次のように言う。
 
最もよくみられる肉体的徴候とは
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 ・けがや病気から回復するのに時間がかかるようになる
 ・肉体活動に粘りがなくなる
 ・太っていると感じたり体重が増えたりする
 ・細かい文字を読むのが大儀になる
 ・忘れっぽくなったり物忘れをしたりする
 ・髪が薄くなったり無くなったりする
最もよくみられる心理的徴候とは
 ・いらいら
 ・優柔不断
 ・不安と恐れ
 ・うつ
 ・自信や喜びの喪失
 ・人生の目的や方向の喪失
 ・孤独感や、自分に魅力がなく人から愛されていないと感じること
 ・忘れっぽくなり、集中するのがむずかしくなる
最もよくみられる性的徴候とは
 ・セックスへの興味が減退する
 ・セックスへの不安や恐れが増大する
 ・パートナー以外の人とのセックスを夢想することが増える
 ・パートナーとの間に、セックスや愛情に関する問題やいさかいが多くなる
 ・性行為中の勃起不全(ED) P8

 
 今まで、男性は強くなければならなかった。
中年の立派な男性が、女々しく弱音を吐くなんてことは、許されなかった。
また、女性は更年期で生理が止まり、生殖能力を失うが、男性は更年期を過ぎても、わずかながら生殖能力を保つ。
おそらくそのせいだろう、男性の更年期障害は、ほとんど注目されなかった。
しかし、男女平等の波が、男性の更年期にもやっと目を向けさせ始めた。

 筆者は、男性の更年期障害に半信半疑だったが、男子にも更年期障害があることを認め出す。
しかし、いささか気になるのは、筆者が古き良き男性像に、微かな期待をつないでいることだ。

 女性運動は「古風な父親」の支配から女性を解放する手助けをし、そのおかげで女性の役割は一気に拡大した。古風な女性の役割が女性にとって窮屈であったのと同様に、古いモデルに縛られていた男性の窮屈さにも関心が寄せられるようになった。
 しかしながら、古風な父親になり代わる新しい父親像が確立されたわけではない。それどころか逆に、「古風な父親」を「古風な父親の正反対」とすげかえたのだった。かくして男性は経済的に自分の子どもを扶養するつもりもない父親となり、女性と対等なパートナーであるより自分自身が子どものように振る舞うようになった。しごく感情的で涙もろく、「女房が何でも知っている」と信じ、ついには勢力を女性にあけ渡して家の奴隷となり果てた。よく気付き親切だが、根性や勇気に欠ける父親である。P92

 
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 女性は出産によって親になるので、親になるための観念の操作は不要である。
しかし、男性は親になることは、自然のメカニズムとして組み込まれてはいないので、作為的な作業をしないと親になれない。
父親の役割や仕事は、観念つまり社会的な約束事が支えていた。
だから、社会が変化すると、父親像も変化する。

 それに対して、女性の親像は変化しないように見える、と筆者は考えているようだ。
しかし、そんなことはない。
出産によって女性は親になるが、女性だって親を演じるには、社会的な約束事の支えが必要である。
女性は今までの母親像から、解放されて自由になった。
女性解放によって、女性は男性と同じになろうとしたので、まずは男性役割を実践すれば良かった。

 女性の台頭に対して、男性はそのままの生き方を持続すればいいのだが、女性が男性化してくれば、その影響を受けざるを得ない。
しかし、男女が等質化している現在、性別による父親役割や母親役割は、無意味となってきている。
「よく気付き親切だが、根性や勇気に欠ける父親」では、なぜいけないのだろうか。
筆者は、あくまでも性別にこだわり、男性が父親、女性が母親をはたす構造から、どうしても抜け出すことができない。

 シングルマザーの父親不在を、克服不可能のことのように語る。
たしかに人間の成長にとって、両性の成人がいる方が自然だろう。
しかし、人類の歴史は、不自然への収斂である。
同性だけで子育てをしても、まったくかまわないし、単親で子育てをしても問題はない。
特異な親からは、一時的に特異な性格の子供たちが誕生するかも知れないが、そうした特異さは時間が標準化してくれる。
子供はどんな環境にも適応する。

 父親像や母親像は、生物的な性別によるだけではなく、社会性のたまものである。
だから、父親になれるのは男性だけではないし、母親になれるのも女性だけではない。
強力な教育者である父親がいないと、子供は男性に対して尊敬の念を失うことはない。
社会が個人を尊敬していれば、子供も個人を尊敬する。
男性が女性を尊敬していれば、子供は女性を尊敬するし、女性が男性を尊敬していれば、子供は男性を尊敬する。

 旧来からの性別役割から、筆者はどうしても自由になれず、父親像を男性としての子供の教育者として捉えている。
肉体的な男性であることや女性であることは変えられないが、父親像や母親像は社会の産物だから、時代によって変わるものだ。
男性の更年期を認めているがゆえに、発想が肉体に拘束されてしまうのだろうか。
更年期という生物的な事実と、人間の意識という関係性の問題を、
同位相で捉えているように感じる。    (2005.08.22)
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参考:
斉藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
ジョルジュ・ヴィガレロ「強姦の歴史」作品社、1999
R・ランガム他「男の凶暴性はどこからきたか」三田出版会、1998
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
斉藤学「男の勘ちがい」毎日新聞社、2004
ジェド・ダイアモンド「男の更年期」新潮社、2002
ジョージ・L・モッセ「男のイメージ」作品社、2005
北尾トロ「男の隠れ家を持ってみた」新潮文庫、2008
小林信彦「<後期高齢者>の生活と意見」文春文庫、2008
橋本治「これも男の生きる道」ちくま書房、2000
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
関川夏央「中年シングル生活」講談社、2001
福岡伸一「できそこないの男たち」光文社新書、2008
M・ポナール、M・シューマン「ペニスの文化史」作品社、2001
ヤコブ ラズ「ヤクザの文化人類学」岩波書店、1996
エリック・ゼムール「女になりたがる男たち」新潮新書、2008
橋本秀雄「男でも女でもない性」青弓社、1998
蔦森 樹「男でもなく女でもなく」勁草書房、1993
小林敏明「父と子の思想」ちくま新書、2009

イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
竹内久美子「浮気で産みたい女たち」文春文庫、2001
石原里紗「ふざけるな専業主婦 バカにバカといってなぜ悪い」新潮文庫、2001


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