著者の略歴−1958年、福岡県生れ。法政大学卒。就職するも、初日の昼休みで辞める。フリーターなどを経て、ライターとなる。現在は、ネット古書店「杉並北尾堂」の経営も手がけている。『ぼくはオンライン古本屋のおやじさん』(ちくま文庫)、『裁判長! ここは懲役4年でどうすか』(文春文庫)、『気分はもう、裁判長』(理論社)、『怪しいお仕事!』(新潮文庫)、『もいちど修学流行をしてみたいと思ったのだ』(小学館)などの著書がある。 男が隠れ家を持つことは、たぶん男なら誰でも憧れることだろう。 少年時代のような夢見心地で、自分だけの小さな城に、納まっているのを想像する。 しかも、その隠れ家を誰にも知られなければ、なお良いと夢想する。 筆者は仕事がらみとはいえ、隠れ家を実現した。
47歳の筆者には、妻と子供が一人おり、西荻窪に生活のベースがある。 その筆者は、足立区のある街に、6畳プラス2畳の台所、トイレつきというアパートを確保した。 風呂がないので、管理費込みで4万2千円だという。自分のためだけの隠れ家である。 筆者はなぜ隠れ家をもったのだろうか。 趣味の部屋? 仕事部屋? 逢い引きのため? すべて違う。 多くの男たちも、実際には隠れ家など持たない。 その理由はよく判る。 隠れ家を持っても、そこでやることがないからだ。 だいたい逢い引きのための部屋だとなれば、自分一人のための部屋ではなくなってしまう。 隠れ家では、ただボケッとするためだけで良い。 それこそ隠れ家である。 しかし、人間はいつまでもボケッとしていられない生き物である。 結局、筆者は自分探しをしていくことになる。
カセットコンロで湯を沸かし、コーヒーを作って飲む。ちゃぶ台もやめたから、カップを置くのは扇風機が入っていたカラ箱の上だ。貧乏くさいが、いまはこれで十分である。 それからは、だいたい3日に一度のペースでアパートに行って、数時間を過ごすようになった。何をするでもなく、ただごろごろして戻ってくる。 それだけのことでも、部屋を借りる前と後では気持ちに変化が生じている。アバートに行けば、外部とシャットアウトされるという安心感があるのだ。電話も引いていないし知り合いもいないから、完全に一人きりになれる。編集担当のオガタだけはこの場所を知っているが、いついるかわからない相手を予告なく訪ねてくる可能性はまずない。 一度など、仕事場にいてコーヒーが飲みたくなり、外に出たついでにアパートまで遠征し、自分でコーヒーをいれて飲み、仕事場に帰った。移動時間2時間、滞在時間1時間。P44 本書の真意は、とても判りにくい。 なぜ隠れ家が必要だったのか、結局、それは筆者の自分探しをするための場所だった、ということらしい。 ペンネームと本名をもつ筆者は、ペンネームの人物は手応えがあっても、生身の自分には確信がなかった。 自分は一体どういった人間なのか。 ペンネームで通用している世界を離れて、本名で語り合える友達が欲しかった、それが結論らしい。 サラリーマンなどの会社人間は、会社と家庭というふたつの世界があり、両者のあいだを行ったり来たりしている。 自由業である筆者には、会社が与えてくれる存在枠がないために、不安になったらしい。 たまたま居合わせた砂場で仲良くなれるのは子供のうちだけ。物心がつくと、人は学校に入れられ、組織のなかで交友関係を作るようになる。同じ組織に属することで仲間意識も生まれるのだ。サークル、趣味の会、飲み屋の常連客だってそう。なにがしかの共通項がなかったら人間関係は形成されにくい。 だが、あいにくぼくには、趣味と呼べるものがない。古本は好きだが仕事になってしまっている。裁判の傍聴も同じで北尾トロの領分だ。釣りや麻雀は、すでに仲間といえる人間がいて、いま以上のレベルを浪求するほどのめりこんでない。 新たな分野でサークル的な集まりがあうたち参加したい、と探しているのだが、いまのところその手の粘り紙や告知にはお目にかかれない。P90 古本屋とライターいう仕事をもっており、それにくわえて釣りや麻雀という趣味があれば、充分な人生だが、現代人にはそれでは不安なのである。 筆者は足立区の片隅で、とうとう花岡という男と遭遇し、うれし涙を流すほどに感激する。 以前は、誰からも相談されない人間だったが、10ヶ月隠れ家を持ったおかげで、他の人との共同作業を楽しく感じるようになった。 そして、夢をもち夢の実現に向けて、動き出すことができるようになったと、人生を楽しげに過ごすようになった。 それが隠れ家を持った効用だったという。 筆者の心の動きが、丁寧に書かれており、ちょっとした哲学書を読むような感じだった。 (2009.1.24)
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