著者の略歴−TVプロデューサー。1949年、滋賀県生まれ。京都大学法学部卒業後、朝日放送入社。 『ラブアタック!』(75年)、『探偵!ナイトスクープ』(88年)など数々のヒットテレビ番組を企画・演出・制作。大阪芸術大学教授、関西大学・甲南大学・京都精華大学講師を歴任。著書に『全国アホ・バカ分布考』『どんくさいおかんがキレるみたいな。』(以上新潮文庫)、『探偵!ナイトスクープアホの遺伝子』(ポプラ文庫)ほか。 女性器と男性器にかんする歴史的な研究だが、店頭で手にするのは憚られる。
とりわけ女性器の名前は、大っぴらに口にすることができない空気が支配している。 本書は全国市町村アンケートをもとに、女性器名と男性器名の全国分布図を作成した。 下品になりがちな話を、丁寧にひもといている。 男性器名であるオチンチンやチンコは、かわいらしいイメージを伴いつつ普通に使われている。 オチンチンやチンコは放送禁止用語ではない。それに対して、女性器名であるオマンコやマンコは、酷く恥ずかしい言葉として放送禁止用語となっている。 なぜ、こうした現象が起きてしまったのであろうか。本サイトが結論から言えば、近代に入って男女差別が激化して、女性が蔑視されたことの反映だとおもう。 前近代は女性が肉体的に非力であるがゆえの差別はあった。 にもかかわらず、女性は男性と同様に生産労働に従事した労働者だったから、 男女差別はそれほど酷くはなかった。 近代になって専業主婦が生まれ、女性が生産労働の分野から身を引くに従って、男女格差が拡大してきたのだ。 それが女性器名を口にすることを非公然化したのだろうと思う。
女陰語は、今、なぜ大っぴらに口に出せないのだろうか? 柳田國男が「カタツムリ」の名称の方言が、 京都を中心にして五重の同心円を描いている事を発見した。女性器名も同様で、京都を中心にした同心円を描くという。
「女陰」について、本土に限って、遠隔地から見てみますと、「マンジユー」「ヘヘ」「ボボ」「オマンコ」「チャンベ」「メメ」「オメコ」「オソソ」などが、
京を中心にきれいな円を描いて分布していることが分かります。ほかに少数ですが 「ツビ」や「サネ」「チャコ」などもあります。
これらのいくつもが京を取り囲んで分布するところから、「アホ・バカ」と同様、女陰語も「多重周圏構造」をなしていることは否定しようがありません。
つまり、日本の本土の女陰語の多くは、かつて京で栄えた言葉であったのです。 P32 スタートは赤ちゃんの陰部を指す言葉としてスタートするのだという。同心円を描いていることは事実であろう。 しかし、なぜ下記のような現象が生じるのだろう。
さて、何度も繰り返されてきたことですが、京の都の婦女子の上品な言葉であったはずの女の赤ちゃんや幼児のための女陰語が、
やがて大人の女の性器の語へ、という避けがたい運命をたどり、また新たに幼女用の、かわいい、あどけない、慈しむべき呼び名が必要になりました。 しかし、筆者のいうように「上品な言葉であったはずの女の赤ちゃんや幼児のための女陰語が、やがて大人の女の性器の語へ、 という避けがたい運命をたどり」だとすると、大人の女性の陰部をあらわすと、なぜ卑語となってしまうのだろうか。 女性の陰部は嫌らしい部分なのだろうか。このあたりの理由をもう少し追求してほしかった。 かつては大人の陰部を表す言葉は、男女の別なく普通に使われていたからだ。 本書の目的は、男性の陰部語は大っぴらに使われ、女性のそれは放送禁止用語になってしまうことの探求ではなく、 陰部をあらわす言葉の全国分布考だからこれで良いのだろう。 こうした言葉が、周圏分布している事実を発見したことだけでも多とすべきだろう。 次には、なぜ女性用の陰部用語が、なぜ卑語となってしまうのかを考えてほしい。 (2018.11.30) 感想・ご意見・反論など、掲示板にどうぞ 参考: 伊藤友宣「家庭という歪んだ宇宙」ちくま文庫、1998 永山翔子「家庭という名の収容所」PHP研究所、2000 J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957 末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994 梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988 J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957 ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965 楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005 シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000 鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004 ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006 水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979 細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980 モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992 R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987 ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952 斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003 光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009 奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992 フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980 伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001 匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997 ミシェル・ペロー編「女性史は可能か」藤原書店、1992 マリリン・ヤーロム「<妻>の歴史」慶應義塾大学出版部、2006 シモーヌ・ド・ボーボワール「第二の性」新潮文庫、1997 亀井俊介「性革命のアメリカ」講談社、1989 イーサン・ウォッターズ「クレージ・ライク・アメリカ」紀伊國屋書店、2013 岩村暢子「変わる家族、変わる食卓」中央公論新書、2009 山本理顕、仲俊治「脱住宅−「小さな経済圏」を設計する」平凡社、2018 エイミー・チュア「Tiger-Mother:タイガー・マザー」朝日出版社、2011 松本修「全国マン・チン分布考」集英社インターナショナル、2018
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