匠雅音の家族についてのブックレビュー      脳は若返る−最先端脳科学レポート|久恒辰博

脳は若返る
最先端脳科学レポート
お奨度:

筆者 久恒辰博(ひさつね たつひろ)    新潮文庫、2008(2005)年 ¥362−

編著者の略歴−1964(昭和39〉年生れ。東京大学農学部農芸化学科卒業。同大学院で農学博士号を取得後、アメリカ国立予防衛生研究所(NIH)を経て、東京大学大学院新領域創成科学研究科先端生命科学専攻准教授。2001(平成13)年に「大人になっても脳細胞は成長している」という衝撃的な事実を突き止め、世界的に話題を集めた。著書に『「幸せ脳」は自分でつくる−脳は死ぬまで成長する』などがある。

 脳の話が流行っている。
この本も、流行にのったものだろう。
脳の話が流行っていると言っても、アテにはならない。
なにしろ和田さんを、カナダへと追いやったのが、我が国の脳研究界である。
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 科学というと正しいように感じるが、脳については判らないと言うほうが当たっているだろう。
脳細胞は1日に10万個ずつ死んでいくというのは、今では科学者は誰も信じていない、と筆者は否定する。
しかし、かつては信じられていたのだろう。
とすると、本書に書かれていることも、明日は信じられなくなるのだろう。
科学も結局は、信仰と同じである。
副題に最先端脳科学レポートとあるが、判らないものを科学で解明するというのは、いつでも怪しげなものだ。

 本書に言われるまでもなく、解剖学的な脳の構造はよくわかる。
しかし、脳のどの部分がどう働いているのかは、やっぱり判らない。
海馬とか大脳皮質といっても、その部分がどんな働きをしているか、正確にはわからないのが正直なところだ。
たまたま脳梁を切断したら、不都合が生じたので、そうだったのかというに過ぎない。

 戦争中でもないので、生きている人間の頭を切りひらいて、実験するなんてコトはできない。
しかも、切りひらいたとしても、その段階での働きが、通常と同じとは保証されない。
とにかく脳は不可解である。
科学的な話は、半分にして聞くとして、経験則にそう部分は納得できる。

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 覚えているか、忘れてしまうか、記憶の強弱は感動の強さによるという。
これは脳科学的な話ではないが、とても説得的である。

 海馬では、強い刺激が入ってくると、神経細胞の回路が変更され、記憶として残っていくことになります。また、集中をともなう刺激(θバースト)、あるいは恋愛のような強い刺激によって、新生ニューロンが増えていくこともわかりました。
 これを別の側面から考えるなら、感動が新生ニューロンを増やし、記憶力を増強していくのだ、ということになるでしょう。
 考えてみると、わたしたちは年をとるほどに「感動」を失っていきます。経験を重ね、物事に対する新鮮味が薄れてしまうからです。(中略)
 大人になつて感動力が衰えていくのは、じつは「予定外報酬」が減っていくからなのです。どんな報酬も経験済みだつたり、あらかじめ予期できたりすることで、予定外という驚きがなくなる。そうすると、感動カが弱まり、結果として記憶力が低下したり意欲が減退したりと、脳の老化につながっていきます。P83


 脳の研究者に言われなくても、感動力が衰えていくのは、日常的に経験することだ。
その理由も考えるまでもない。
歳をとると、物覚えが悪くなったというが、物を覚えるとは新たな刺激を感じることだ。

 歳をとればとるほど、多くのことを経験し、既知の領域が広くなる。
もちろん知識の量も増えている。
新たな事物との出会いが減ってくるのは、当然である。
すでに知っているのだから、驚きようがない。
とすれば、覚えるという刺激は、グッと減っても不思議ではない。

 高齢者はパソコンや携帯に不得手だという。
事実、高齢者より若者のほうが、パソコンや携帯を巧みに使う。
これだって原因ははっきりしている。
若者のほうがパソコンや携帯への驚きは強く、触れている時間が長いのだ。
高齢者は新たなモノと出会っても、既知のモノで理解しようとする。

 経験者は、新たなモノに出会ったとき、理解の鍵を経験に捜そうとする。
新たなモノにたいして、素直な驚きとともに無心で接することができない。
そこまでして覚える必要はないと、自分で決めてしまう。
経験が邪魔して、感動を減らしてしまうのだ。
だから、いつまでたっても、パソコンや携帯が使えるようにならない。

 「大人の脳の鍛え方」を改題したとある。
脳は鍛えれば、衰えないと言っている。それは救いであろう。 (2010.8.20) 
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参考:
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
松本彩子「ピルはなぜ歓迎されないのか」勁草書房、2005
榎美沙子「ピル」カルチャー出版社、1973
ローリー・B.アンドルーズ「ヒト・クローン無法地帯」紀伊国屋書店、2000
沢山美果子「出産と身体の近世」勁草書房、1998
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史」勁草書房、1994
ジュディス・ハーマン「心的外傷と回復」みすず書房、1999
小浜逸郎「「弱者」とは誰か」PHP研究所、1999
櫻田淳「弱者救済の幻影」春秋社、2002
松本昭夫「精神病棟の二十年」新潮社、1981
ハンス・アイゼンク「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
小沢牧子「「心の専門家」はいらない」洋泉社、2002
佐藤早苗「アルツハイマーを知るために」新潮文庫 2007年
多田富雄「寡黙なる巨人」集英社、2007
熊篠慶彦「たった5センチのハードル」ワニブックス、2001
正村公宏「ダウン症の子をもって」新潮文庫、2001 
高柳泰世「つくられた障害「色盲」」朝日文庫、2002
加藤康昭「日本盲人社会研究」未来社、1974
北島行徳「無敵のハンディキャップ」文春文庫、1997
アリス・ミラー「闇からの目覚め」新曜社、2004
御木達哉「うつ病の妻と共に」文春文庫、2007

M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992
久恒辰博「脳は若返る」新潮文庫、2008

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