匠雅音の家族についてのブックレビュー    子ども共和国−自由への壮大な試み|エーバーハルト・メービィウス

子ども共和国
自由への壮大な試み
お奨度:

著者:エーバーハルト・メービィウス 風媒社 1987年 ¥1500−

著者の略歴−1926年ドイツのハルツ山地にうまれ、1944年ギムナジウム卒業。1975年に船舶劇場「ダス・シフ」を開設し、主宰している。
 1980年頃に、スペインにあった「ベンポスタ共和国」へ行った旅行記である。
ベンポスタへの旅行記といっても、行った先が子供による子供のための国だった。
どうも今は無くなってしまったらしい。
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子ども共和国

 シルバ神父が1人で、15人の子供たちと始めた共同生活から、この国は始まった。
本書を読み始めた最初は、子供が大統領で、子供の自治によって運営されていると言っても、よくわからなかった。
子供が独力で国家運営などできるわけがない、ボクはそう思っていたのだ。
しかし、ベンポスタは大人の援助は受けているが、最終的な権限は子供の総会にあった。

 ベンポスタは最初、町中の古い小さな家から出発した。
シルバ神父が、ぼろや古新聞などを子供たちと集め始めた。
これが彼等の生活費になった。
やがて、ホッケーチームへと成長し、郊外の広い土地へと移転した。
スペインのオレンセとは、ポルトガル北側の大西洋側の地域にある町である。

 オレンセから国道525号線を南下して、約7キロメートル、ここにムチャチョス(スペイン語で子供のこと)はガソリン・スタンドを経営している。客も多いようだ。ここには、ムチャチョスの町を訪問する人のために、大きな地図を掛けてある。そこをすぎて300メートル走ると、国道から左へ入る道がある。舗装してある道を、しばらく走る。左右はカシやマツの林である。正式の国境通過点に着く。高い門の前には遮断機と国境警備所がある。この門は、この国を形象している。円形で中央がたわんでいる。Mの形である。これはムチャチョスの頭文字を示すとともに、平和の鳩を抽象化している。
 国境通過は、なかなかどうして、本格的である。12歳の「国境官」は入国目的を記入し、ヴィザを切り、入国金を受取り、入国者がある旨の電話を市役所に入れる。遮断機が上がる。
 道の両側にはプラタナスが植えてあり、この小さな多民族国家構成員の国旗がはためいている。P46


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 子供への新しい教育は、さまざまに新しい試みがなされてきた。
これもそうした一つかと思っていたが、それにしては規模が大きすぎる。
なにしろ5歳から20歳まで、2000人からの子供たちが、共同生活をしているのだ。
出発の時点では、全員が男の子だったが、途中から女の子も参加するようになった。

 新しい教育は、新しい社会に適応させるために、新しい学校がその場所となる。
しかし、ベンポスタでは違って、子供の自主性を伸ばすことだけで、社会への適応を目的とはしていない。
この国にだけ通用する、コロナ紙幣が発行されている。
そして、子供たちが働くと、コロナで給料が支払われる。
次が面白いのだが、授業にでて勉強しても給料が支払われる。
子供にとって、働くことと勉強することは同じだというのだ。

 この国はガソリン・スタンドを営んだり、パン屋をやったりして、周囲の人たちと交流して稼いでいる。
もっとも大きな稼ぎは、サーカスなのだそうだ。
欧州一帯を巡業し稼いで、国の財政を支えている。
しかし、スペインのような国で、しかも、当時はフランコ支配下だったスペインで、子供の自治になる国など想像できるだろうか。

 筆者は半信半疑で、ベンポスタを訪れた。
その旅行記なのだ。本書を読んでも、なかなか実感がつかめない。
しかし、子供の自治になっているらしい。
1000人の子供いるというが、その教師に給料を支払っているのは、子供たちなのだ。
しかも、子供の住民総会が、最終決定機関であり、子供の大統領が首長なのだ。
シルバ神父も大統領の決定には従うという。

 シルバ神父が教育者として、諸外国へ目配りしてから始めた事業ではない。
むしろ貧困対策として始まったようだが、その理念が尋常ではなかったのだ。
子供でも大人と同じように、自立できると考え、自主的な国にした。
さまざまな理由があったのだろう、現在では存在しないらしいが、この話が本当なら素晴らしい。
もっとも、ベンポスタ・サーカスは、1981年には我が国にも来ている。

 ベンポスタへの旅行も、仕立てられていた。
そのため、実際にあった話だとは思うが、本当であれば素晴らしい。
あまりに現実離れしていて、狐につままれたような気がする。
少なくとも、ここには子供を管理しようという発想はまるでなく、子供の自主性と創造性におっている。

 「ベンポスタ共和国」が、なぜなくなってしまったのか。
とても残念である。   (2009.12.22) 
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参考:
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006
デスモンド・モリス「赤ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども>という神話」岩波書店、1997
編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001、
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
矢野智司「子どもという思想」玉川大学出版部、1995  
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
赤川学「子どもが減って何が悪い」ちくま新書、2004
浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002
服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005
ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
宮迫千鶴「ハイブリッドな子供たち」河出文庫、1987
エーバーハルト・メービィウス「子ども共和国」風媒社、1987
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997

下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993

吉廣紀代子「非婚時代」朝日文庫、1987
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997

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