著者の略歴−1926年ドイツのハルツ山地にうまれ、1944年ギムナジウム卒業。1975年に船舶劇場「ダス・シフ」を開設し、主宰している。 1980年頃に、スペインにあった「ベンポスタ共和国」へ行った旅行記である。 ベンポスタへの旅行記といっても、行った先が子供による子供のための国だった。 どうも今は無くなってしまったらしい。
シルバ神父が1人で、15人の子供たちと始めた共同生活から、この国は始まった。 本書を読み始めた最初は、子供が大統領で、子供の自治によって運営されていると言っても、よくわからなかった。 子供が独力で国家運営などできるわけがない、ボクはそう思っていたのだ。 しかし、ベンポスタは大人の援助は受けているが、最終的な権限は子供の総会にあった。 ベンポスタは最初、町中の古い小さな家から出発した。 シルバ神父が、ぼろや古新聞などを子供たちと集め始めた。 これが彼等の生活費になった。 やがて、ホッケーチームへと成長し、郊外の広い土地へと移転した。 スペインのオレンセとは、ポルトガル北側の大西洋側の地域にある町である。 オレンセから国道525号線を南下して、約7キロメートル、ここにムチャチョス(スペイン語で子供のこと)はガソリン・スタンドを経営している。客も多いようだ。ここには、ムチャチョスの町を訪問する人のために、大きな地図を掛けてある。そこをすぎて300メートル走ると、国道から左へ入る道がある。舗装してある道を、しばらく走る。左右はカシやマツの林である。正式の国境通過点に着く。高い門の前には遮断機と国境警備所がある。この門は、この国を形象している。円形で中央がたわんでいる。Mの形である。これはムチャチョスの頭文字を示すとともに、平和の鳩を抽象化している。 国境通過は、なかなかどうして、本格的である。12歳の「国境官」は入国目的を記入し、ヴィザを切り、入国金を受取り、入国者がある旨の電話を市役所に入れる。遮断機が上がる。 道の両側にはプラタナスが植えてあり、この小さな多民族国家構成員の国旗がはためいている。P46
これもそうした一つかと思っていたが、それにしては規模が大きすぎる。 なにしろ5歳から20歳まで、2000人からの子供たちが、共同生活をしているのだ。 出発の時点では、全員が男の子だったが、途中から女の子も参加するようになった。 新しい教育は、新しい社会に適応させるために、新しい学校がその場所となる。 しかし、ベンポスタでは違って、子供の自主性を伸ばすことだけで、社会への適応を目的とはしていない。 この国にだけ通用する、コロナ紙幣が発行されている。 そして、子供たちが働くと、コロナで給料が支払われる。 次が面白いのだが、授業にでて勉強しても給料が支払われる。 子供にとって、働くことと勉強することは同じだというのだ。 この国はガソリン・スタンドを営んだり、パン屋をやったりして、周囲の人たちと交流して稼いでいる。 もっとも大きな稼ぎは、サーカスなのだそうだ。 欧州一帯を巡業し稼いで、国の財政を支えている。 しかし、スペインのような国で、しかも、当時はフランコ支配下だったスペインで、子供の自治になる国など想像できるだろうか。 筆者は半信半疑で、ベンポスタを訪れた。 その旅行記なのだ。本書を読んでも、なかなか実感がつかめない。 しかし、子供の自治になっているらしい。 1000人の子供いるというが、その教師に給料を支払っているのは、子供たちなのだ。 しかも、子供の住民総会が、最終決定機関であり、子供の大統領が首長なのだ。 シルバ神父も大統領の決定には従うという。 シルバ神父が教育者として、諸外国へ目配りしてから始めた事業ではない。 むしろ貧困対策として始まったようだが、その理念が尋常ではなかったのだ。 子供でも大人と同じように、自立できると考え、自主的な国にした。 さまざまな理由があったのだろう、現在では存在しないらしいが、この話が本当なら素晴らしい。 もっとも、ベンポスタ・サーカスは、1981年には我が国にも来ている。 ベンポスタへの旅行も、仕立てられていた。 そのため、実際にあった話だとは思うが、本当であれば素晴らしい。 あまりに現実離れしていて、狐につままれたような気がする。 少なくとも、ここには子供を管理しようという発想はまるでなく、子供の自主性と創造性におっている。 「ベンポスタ共和国」が、なぜなくなってしまったのか。 とても残念である。 (2009.12.22)
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