匠雅音の家族についてのブックレビュー   なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか|ロバート・C・アレン

なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか お奨度:

筆者 ロバート・C・アレン  NTT出版  2012年 ¥1900

編著者の略歴−1947年米国マサチューセッツ生まれ。ハーヴァード大学で博士号を取得。カナダのブリティッシュ=コロンビア大学で教鞭をとったのち、現在、オクスフォード大学経済学部教授でナフィールド校のフェロー。英国学士院特別会員。著書に The British Industrial Revolution in Global Perspective (Cambriridge University Press、2009)などがある。2012−13年度アメリカ経済史学会会長。
 地球上には豊かな国と貧しい国がある。
悲しいかな、これは誰でもが認める事実だ。
ところで、どんな生活が豊かで、どんな生活が貧しいというのだろうか。
筆者は必最低限ぎりぎりの生存水準という概念をもちだす。
それによると、豆、麦、トウモロコシなどの含水炭素類を主な食物として、肉類のない食事を送っているのが貧しい生活だという。

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 18世紀まで地球上のどこでも、必要最低限の生活が営まれており、王侯貴族を除けば庶民はどこでも大同小異だった。
誰でもが必要最小限の生活をおくっており、今から見ると貧しかった。
しかし、近代化=工業化が始まると、貧富の差ができはじめたのだという。
確かに、われわれ庶民の生活は貧しかった。
こんなに恵まれた食生活が送れるようになったのは、そんなに昔からではない。
小学校へ行っていた頃の食卓は、おかずが一品とご飯に味噌汁、それに漬け物があれば良い方だった。
食べ残すことは悪いことだった。

 近代化を悪くいう人がいるが、近代化したから豊かな生活が可能になったのだ。
しかも、近代化は世界中の国で達成されたわけではない。
近代化を成し遂げた国々のかげで、近代化から取り残されて、貧しさに突き落とされた国もある。
最初に近代化に成功したのは、もちろん西洋諸国だ。
なぜ、西洋諸国が近代化に成功したのか、その理由はプロテスタンティズムの倫理が北ヨーロッパに人々を勤勉に働かせ、それが近代化に結びついたとウェーバーはいう。

 しかし、ウェーバーの理論はもはや支持されなくなっている。
高い識字率と演算能力の普及という意見もある。
また、政治的な制度の整備だという意見もある。
こうした意見は、一面の真理であるかもしれないが、どこの国にも当てはまるものではない。
近代化の端緒となった産業革命は、なぜイギリスで始まったのか。

 筆者は次のようにいう。

 賃金と資本価格・エネルギー価格のあり方が違う結果、割安なエネルギーと資本をどんどん使って、割安な労働を節約するような技術を採用することにより、イギリスの企業は利益を上げることができたのである。より多くのエネルギーと資本を利用できたイギリスの労働者はより生産的になった。これこそが経済成長の秘密なのである。アジアとアフリカにおいては、安価な労働が反対の結果を招いた。P42

 労働賃金が高く資本が潤沢にあったところで、近代化が始まったというのである。
つまり、安価な労働力が溢れている地域では、高価な機械を取り入れるより人力に頼ったほうが安上がりだから、投下資本の回収が見込めずに近代化は始まらないというのだ。
反対に、イギリスでは労働者の賃金が高かったので、資本家は賃金を払いたくなくて機械を取り入れた。
だから生産性が上がって、イギリスは裕福になったという。
なんだか狐に摘ままれたような話である。

 イースト・ロンドンの貧困や「オリバー・ツイスト」の話を知っている者としては、イギリスの労働者が高賃金を取っていたとは不思議な話に感じる。
しかし、筆者によれば当時のイギリス人労働者は、豆、麦、トウモロコシを食べるだけではなく、パンも食べられたし、肉も食べていたという。
必最低限ぎりぎりの生存水準の4倍の給与を稼いでいたらしい。
確かに、イギリス国内では貧困だったかもしれないが、世界的に見るとイギリスの労働者は裕福だったかもしれない。

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 我が国の非正規雇用者は、年収200万円以下で生活している。
我が国では貧困と言って良い。
しかし、世界で貧困といえば、1日1ドルつまり年収4〜5万円で生活している。
我が国の貧困者は世界ではお金持ちなのだ。
資本の論理とは残酷なものだ。
こうした事実は、近代化が始まってからも同じだったのかもしれない。
 
 農耕文明には、アフリカと異なり、生産性の高い農業、多様な製造業、そして近代経済成長に必要な制度的、文化的資源といった多くの優位があった。これらの資源には、土地の私的所有制度と、土地を持たない労働者の存在ばかりではなく、財産を保障し、商業を行う上で必用な文化的な要素が含まれていた。これらの文化的な要素は、貿易の振興にも、学習、算術、科学の発展にも、そして近代技術の発明と普及のためにも必用であった。P125

 この意見は傾聴に値する。
農業の生産性を高める努力が、結果として工業生産の土壌を培い、近代化の足馴らしとなったというのは事実だろう。
大規模な測量や石高の掌握、租税の徴収など、高度な知的集積を必用としたのだ。
ところが粗放的な焼き畑農業では、何年かごとに耕作地を換えてしまえばすむので、高度な知的集約が生まれない。
だから、農業生産が高度化している地域が、近代化の糸口をつかんだというのは理解できる。

 しかし、それだけでは近代化の条件としては、充分な説明になっていない。
中国だってインドだって、高度な農業生産力を持っていたにもかかわらず、18〜19世紀には近代化することはできなかった。
アフリカ諸国やラテン・アメリカ諸国と同様に、第二次世界大戦まで前近代にとめおかれた。
そうしたなかで、西洋諸国以外に唯一の例外として、日本が19世紀に近代化に踏み出した。

 日本について筆者は次のようにいう。

 (日本の)財閥は貯蓄、投資の増加によって、資本不足に対処しようとしていたが、同時に適正な技術の開発によってもその問題に対処しようとしていた。高賃金の環境で操業していたアメリカ企業は、労働を節約するように高度に機械化された、組み立てラインによる生産方式を生み出した。対照的に日本では、原材料と資本が節約された。日本の製品の中で最も著名なものの一つが三菱重工業の零式艦上戦闘機であった。高度4000メートルでの最高速度毎時500キロメートルは、エンジンの出力を増強したからではなく、機体重量を軽くしたことによって達成された。P168

 日本は欠乏する資本を人海戦術で補ったというのである。
零戦の例は象徴的な一部に過ぎない。
明治の近代化の過程で、西洋の金属機械をそっくりまねて木造で済ますことにより、安価につまり少ない資本で同じ生産結果を生み出したというのだ。
たしかに、官営工業以外は高価な紡績機を購入できなかったので、木製の紡績機を稼働させていた。
それは貧乏な日本人たちの必死の工夫だったのだ。

 香港とシンガポールは都市国家だから条件が違うが、日本以外にも韓国と台湾が近代化に成功しつつある。
そして、裕福な国の仲間入りを果たしつつある。
庶民が海外へと観光旅行に行けるのは先進国の証なのだが、いまや韓国人観光客は世界中で見かける。
では、改めて近代化に成功した、つまり豊かになった国の原因はと問うと、筆者はわからないと次のようにいう。

 これらの国々(=豊かになった国々)が実施した多くの戦略のうち、なにがもっとも効果的であったかについては、いまだに多くの論議の的となっている。また、これらの成功した政策を他の国々に移し替えることができるのかどうかはそれほどはっきりしていない。経済発展をもたらすもっともよい政策は、まったく解明されないままなのである。P190

 本書の結論は、豊かな国になった理由は、個々別々の地域特性があり、一般的な解答はないというものだ。
じつに正直である。
しかし、本書の指摘の中で、もっとも傾聴に値するのは、近代化が進んだから貧富の差ができたのだというものだ。
グローバルな交易が盛んになる前は、地球上のどこでも庶民は必最低限ぎりぎりの生活を送っていたのだ。

 近代化によって豊かな国が誕生したけれど、その反作用として貧乏な国が生まれてしまった。
工業化は貿易を前提としており、貿易が貧富の差を生んだのだと本書はいう。
その通りだろう。
今また情報社会化という世界交易が広がっている。
これは工業化がもたらしたグローバル化を、遙かにしのぐグローバル化である。
本書に従えば、このグローバル化によって、貧富の差はますます拡大していくことになる。
冷静な観察だけに、ちょっと嫌な感じである。   (2013.8.5)
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参考:
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M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
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江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
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ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
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E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
田川建三「イエスという男」三一書房、1980
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
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小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
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フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
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古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
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ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
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ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
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オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
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宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
ロバート・C・アレン「なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか」NTT出版、2012

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