匠雅音の家族についてのブックレビュー   階級「断絶」社会アメリカ−新上流と新下流の出現|筆者 チャールズ・マレー

階級「断絶」社会アメリカ
新上流と新下流の出現
お奨度:

筆者 チャールズ・マレー  草思社 ¥3、200 2013年

編著者の略歴−1943年生まれ。アメリカの政治学者、コラムニスト。リバタリアンとして知られる。ハーバードで歴史を修めた後、平和部隊(Peace Corps)の活動に参加してタイに渡る。その後、MITで政治学の博士号を取得、アメリカン・インステイチューツ・フォー・リサーチ(AIR)やマンハッタン研究所で研究を続け、現在はアメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)の特別研究員。著書多数。1994年の『ベルカーブ』(リチヤード・J・ハーンシュタインとの共著)が全米で物議を醸したのに続いて、本書も発売と同時に全米で賛否両論が沸騰し、ベストセラーになった。
 リバタリアン−個人の完全な自治を唱え、その究極的な理想として国家や政府の完全な廃止を求める−であることを自認している筆者は、社会の格差拡大に対して独特の理論付けをしている。アラン・ブルーム「アメリカンマインドの終焉」とよく似た立ち位置と言ったら良いだろうか。

 本書は1960年から2010年間の資料を使って、アメリカ白人の変化を展開したものだ。
アメリカ社会ではなく、アメリカ白人の変化であることに注意して欲しい。
最近のアメリカでは、一般に言われているように、高収入を稼ぐ一部の人と、低収入にあえぐ人々への分解がすすんでいる。

 堤未果「沈みゆく大国 アメリカ」などが描くように、強欲な資本主義が国家から利益をむしり取っている。
そして、その被害はもっぱら弱者とりわけ有色人種に集中している。
そう思いがちだが、本書は異なった視点を提出している。

 1960年代以前は、アメリカン・プロジェクトとでも呼ぶべき、「勤勉、正直、結婚、信仰」といった建国以来の美徳が保たれていたという。
その美徳は、アメリカ国民に固有のものであり、この美徳があったがゆえにアメリカは現在の地位を築けたのだ。
その美徳が崩れ始めている。

 有色人種に美徳が欠けているのではない。
もっとも平均的だった白人の庶民層から、美徳が欠け始めている。
新上流階級は美徳を失っていると言っても、新下流階級に比べれば僅かなものだ。
中間層であった白人労働者が新下流階級へと移動し、この人たちからアメリカ建国の美徳が失われているという。

 新上流階級は、かつてのエスタブリッシュとは異なり、高学歴、高収入の専門職、管理職、技術職の人たちであり、ほとんどが大卒以上である。
こうした新上流階級には、建国の美徳は減衰しながらも生き延びている。
そして、この階級に属する人たちは、同じような指向の男女が結婚するので、そこで生まれる子供の知能指数がますます上昇し、階級の固定化が進んでいる。

 この現象は我が国でも同じようにすすんでいる。
貧困層の子供が6人に1人はおり、一度貧困層に属すると、大学に入ることは遠い夢になってしまう。
その結果、成人しても高給を稼げる職業に就くことができない。
いわば、階級の固定化が進んでいる。

 筆者は最初になぜ美徳が崩壊したのかではなく、崩壊した事実だけを描くと言っている。
それは良いだろう。勤勉、正直、結婚、信仰という4つの領域と自己報告による幸福度という章では、結婚している人が、<とても幸せ>の度合いが40パーセントともっとも高く、別居、離婚、死別、未婚の人は18パーセントだったという。
その次に、仕事でもっとも満足度が高いのは専業主婦だったという。
このあたりになってくると、ちょっと首をかしげたくなってくる。

 信仰の項目では、教会に通う頻度が高いほど<とても幸せ>の度合いが高く、以下、一年に一度も通わない人が、<とても幸せ>の度合いが低くなっている。
ここに至ると、筆者の信条に従ったデーターを並べた感じがして、ついていけなくなる。
そして、次のよう言う。
 
広告
  いくつかの点では、アメリカ合衆国は今もまだ正しい方向に歩んでいて、建国の原動力となった目標に近づこうとしている。その代表的な例がアフリカ系アメリカ人と女性の地位に関する諸改革である。1963年に彼らの行く手を阻んでいた障壁は、アメリカがその目標達成に失敗しつづけていることの証しだった。しかしその後、2010年までに、これらの障壁はアメリカ社会のあらゆる領域でかなり取り除かれた。
 しかしながらその他の点では、アメリカ合衆国は1963年11月22日以降、悪化の一途をたどつている。第U部と第14章で示したグラフはいわばその告発文のようなものであり、思ったとおり、家族も仕事もコミュニティも信仰も弱体化していることが明らかになった。
 これらの弱体化により生じている問題は、貧困問題とは性質が異なる。極端な貧困にあえぐ世帯はなくなり、貧困が原因で苦しむ子供もいなくなった。極端に貧しいコミュニティもなくなったので、貧困ゆえに生じる問題でコミュニティが頭を抱えることもなくなった。その点では、20世紀の初めの3分の2でアメリカ社会は目覚ましい進歩を遂げた。しかし今、家族が機能不全に陥ったことで、あるいはそもそも家族が形成されなくなったことで、日に日に多くの子供たちが質しさとはまったく別の苦しみに直面している。P409

 筆者の分析に従うと、古き良き建国の美徳がなくなったことを嘆くなら、女性の社会進出を肯定できないことにならないだろうか。
未婚女性による出産の増加が、社会の危機を招きつつあり、父親のいない家庭がうまくいっていないという。

 父親がいない家庭とは、母子家庭のことだろう。
アメリカの母子家庭は、ヨーロッパの母子家庭と違って、十代で子供を何人も生み、生活保護に頼って生きていく。
そこでは父親役割を果たす人がいないため、子供に勤労精神を植え付けることができない。
お金をもらって生きることが、当然の生き方になるという。

 独立独歩を良しとするリバタリアンからみると、ヨーロッパ型の福祉社会は間違いだと思えるのだろう。

   ヨーロッパ型福祉国家の日々の暮らしはすこぶる快適だと思われ、何度でも訪れたくなる場所である。しかしながら、そこに根づいた人生観には問題がある。それはこのようなものだ−人生の目的は誕生と死のあいだの時間をできるだけ快適に過ごすことであり、政府の目的はそれをできるだけ容易に実現できるようにすることである−これがヨーロッパ症候群である。
 労働時間が短く、頻繁に休暇を取る現象は、その一症状である。つまり、仕事が自己実現の手段ではなくなりつつある。むしろ仕事は必要悪で、より価値のある余暇を邪魔するものだという考えが支配的になりつつある。仕事を探さなければならないとか、解雇される恐れがあるといったことは、とんでもない負担だと思われている。また、アメリカよりも急激に進んだ結婚の衰退もその一症状である。P411

 多くの資料をグラフに表して、判りやすく論を進める。
1つの現実を前にして、さまざまな解釈があると思わせる本である。
本サイトも自立を良しとするあたり、リバタリアン的な側面があるとは思う。

 筆者はなぜ「勤勉、正直、結婚、信仰」が薄れたかを問わないが、その理由を問うべきだろう。
理由がわかれば、筆者の嘆きも解消できるかも知れないし、貧富の格差も解消できるかもしれない。

 高等教育を受けた者だけが、高給を稼ぐことができ、所得格差は世代を追う毎に広がっていく。
しかも、人間同士の繋がりを切断し、個人化を推し進めていく。
本サイトは個人化の極みとも言うべき、単家族化が不可避だと考えるから、無力感に襲われる。

 本サイトも、貧困層の発生と格差の拡大は、筆者と同様に対応策に苦悩しているところである。
情報社会化は圧倒的なまでに個人化を要求している。
旧を懐古するだけでは、こ
単家族化しながら、どこかで人間的な繋がりを確保できないかと考えるが、いまのところ手がかりすらない。

 既存の社会保障は、いまのところ役に立ちそうもない。
さまざまな保護や手当は、差別をますます拡大・固定化させるだけだ。
筆者がベイシック・インカム「すべての人にベーシック・インカムを」を提案していることは考えさせられた。(2015.05.27)
広告
  感想・ご意見・反論など、掲示板にどうぞ
参考:
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
ジョン・デューイ「学校と社会・子どもとカリキュラム」講談社学術文庫、1998
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006
デスモンド・モリス「赤ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども>という神話」岩波書店、1997
編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001、
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
矢野智司「子どもという思想」玉川大学出版部、1995  
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
赤川学「子どもが減って何が悪い」ちくま新書、2004
浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
ゲッツ・W・ヴェルナー「すべての人にベーシック・インカムを」現代書館、2009
チャールズ・マレー「階級「断絶」社会アメリカ」草思社、2013

「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる