編著者の略歴−1941年米国ニューヨーク州ロチェスター生まれ。1970年にイェール大学で学位取得。ミシガン大学を経て、現在ハーバード大学教授。この間ハーバード大学ケネディ行政大学院学長、米国政治学会会長等を歴任した。比較政治学、国際関係を始め広範な領域で多数の編著書、論文を発表しでいる。既刊の邦訳育として「サミット」(TBSブリタニカ、1986年、共著)、「哲学する民主主義」(NTT出版、2001年)がある。
700ページ近い大判の本で、いかにもアメリカ人の書いた研究書である。
豊富なデーターをグラフ化して描いており、1960年以降のアメリカの変化を論じている。
社会関係資本によるものと思われるPTAも、1960年へと急激に会員数を増やしていったが、1960年頃を境にして、急激に落ち込んでくる。職場の繋がりも、1960年頃から落ち込みはじめ、1970年を過ぎると労働組合も急激に組織率を下げていく。教会活動も同様である。 電話やインターネットは人間関係を広げはしたが、すでに知っている人々との結びつきを強化した。電話で新たな人間同士の付き合いが始まったというのは、ほとんど聞いたことがないという。おそらくメールも同じであろう。社会関係資本を減らした最大のものは、テレビであるという。 テレビ娯楽への依存は、市民参加低下を予測する単なる有意な予測変数ということにとどまらない。それは、これまで筆者が見つけた中で唯一最も一貫した予測変数である。 テレビを「主要な娯楽」であると答えたものは、ボランティアやコミュニティ事業への参加割合が低く、ディナーパーティやクラブ会合への出席が少なく、友人をあまり訪ねず、家で歓待をすることも少なく、ピクニックに行かず、政治にあまり興味を持たず、献血する割合も少なく、定期的な友人への手紙をあまり書かず、長距離電話も少なく、季節のあいさつ状や電子メールもあまり送らず、運転中に腹を立てることが多いと答えており、ここで比較対象となった集団とは、テレビが主要な娯楽ではないと答えたこと以外に人口統計学的な違いは存在しない。テレビ依存は、単にコミュニティ生活への関与が低くなるということに関連しているだけではなく、筆記、口頭、電子的というあらゆる形態の社会的コミュニケーションの低下と関係している。P280 これは驚くべきことだ。テレビこそが地域の付き合いを崩壊させ、個人を家庭へと閉じ込めていった元凶だというのだ。本書はアメリカでは2000年に出版されているから、すでにインターネットは存在していた。しかし、インターネットが人を孤立化させているのではないという。 確かにインターネットのメールは電話と同じで、すでに知った人とのあいだに交わされるものだ。メールによってより親密になりこそすれ、家庭に引きこもらせる原因にはなりにくい。また、各サイトを訪れることも、目的意識的に行っているのだから、テレビのようにもっぱら受け身的だというのとは違う。テレビは視聴者をテレビのまえに釘付けにする。しかも、特別に見たい番組がなくても、スイッチを入れておく人は多いだろう。 本サイトは、労働の質が変化したことを重視しているが、本書の筆者も同じような意見を述べている。 労働の性質が変化していることと、またそれと密接に関連した、女性の有給労働力ヘの移動は、20世紀を通じて米国社会に最も広範に広がった大変動の一つである。この職場の変容は、その重大さにおいて、一世紀前に米国が農場の国から工場と事務所の国へと変身したことと比較しうる。しかし21世紀の幕開けにおいて、米国の制度は公的なものも私的なものも、また職場における規範や習慣も、この変化への適応をようやく始めたにすぎない。第11章で見たように、この職場革命ははぼ同時に起こつた社会的つながりと市民的関与の低下と関係があると考えられる。P502 人間関係資本の回復に関して、筆者はわりと楽観的である。2010年までに、米国の職場が家族へのやさしさと、コミュニティとの親和性を大きく高めようと訴えている。2010年はすでに過ぎてしまったが、むしろ人間関係資本はますます疎遠になっているように感じる。 (2016.07.05)
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