匠雅音の家族についてのブックレビュー    狩りをするサル−肉食行動からヒト化を考える|クレイグ・B・スタンフォード

狩りをするサル
 肉食行動からヒト化を考える
お奨度:

著者:クレイグ・B・スタンフォード−青土社、2001年  ¥2、400−

著者の略歴−
 1966年に<人間−狩りをする者>というシンポジウムが、アメリカのシカゴ大学であった。
この研究は、人間を狩りする生き物ととらえるてんで、社会の成り立ちを男性優位に解釈した。
当時は、サルの社会の研究も進んでいなかったことことも手伝って、このシンポジウムはその後に興隆したフェミニズムからは、とりわけ評判が悪かった。
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 人間は肉だけを食べるのではない。
むしろ植物性のものを主にした雑食である。
ベジタリアンであることは可能でも、肉食だけでは生きていけない。
だから人間の食物のなかで、肉の役割は比較的低いと考えられている。
 しかし、筆者は肉の分配が、人間社会の構造を大きく規定したと考えている。
それを、サル類の肉の扱いから、人間社会を遠望する。
本書はフェミニストたちには評判が悪いが、なぜすべての人間社会が男性支配であるかを、肉の分配から解き明かそうとするものでもある。

 かつてはサルが集団で狩りをするとは、考えられていなかった。
しかし、サル学の研究が進んだ結果、サルの社会にも優劣関係が存在することが明らかになった。
オスのサルたちはより小さな生き物を、集団で組織だって捕獲することがわかってきた。
狩りにはメスは参加しない。
メスと子供サルは、オスたちハンターのあとを追って移動するに過ぎない。
メスはオスたちの手に入れた肉をもらうだけである。
ここで肉の分配権を手にしたオスが、サル集団の支配権を握り、強固な支配の構造をつくりだすという。

 狩猟行動は、ハンター間でコミュニケーションや行動の共同を必要とする。これは、危険を伴う獲物を首尾よく追跡して、狩猟するために、知性とコミュニケーション能力に進化の過当な価値を置いた。男性はこれをした。そして、女性はしなかった。そのうえ、ウォツシユバーンとランカスターは、狩猟行動の深い人類愛を、戦争や一般の攻撃的行為へ向かう、同じように深い人類愛と結びつけた。このような行為を実行するのが、ほとんどいつも男性であるという事実は、人類社会で、賢明な採取者や、肉の供給者、征服者の魅力的役割を占める本来の権利を、男性が持っていたという考えを補強するのに役立った。以来ずっと、人類進化の理論は、人類適応の核として、女性より男性の活動に焦点を合わせてきた。P47

 男性が単独で狩猟をするのが166例、男女混合で狩猟をするのが13例、女性のみで狩猟をする例はゼロである、という。
こうしたサルの事例から、複雑な人間社会を類推しようとしてきた。
しかし、植物食が主な人間たちに、肉食だけからその起源を説明するのは、やはり無理があるように思う。

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 肉食がさかんなヨーロッパ人たちには納得されるかもしれない。
しかし、植物食が中心で肉食には馴染みの少なかったわが国では、肉食にこだわるのは奇異な感じがする。
事実本書でも、初期人類の骨格は、捕食性や肉食性に適さないという。
にもかかわらず、筆者は肉食にこだわるのである。
それは社会的なヒエラルキーが、単に効率に支配されているだけではなく、肉に象徴される無形の価値をめぐるものだ、と考えているからである。

 サルたちの狩猟と人類の狩猟では、おおいに異なる部分がある。
サルは肉をハンターが独占するが、狩猟民たちは公平に分配し、ハンターが独占することはない。

 分配行動と平等主義の関係は、現代世界の採取者に見られる二つの顕著な特徴である。人類社会で日常的に起こる開かれた互恵主義は、人類以外の霊長類の間ではまれである。狩猟採集民集団の平等主義の本質と、大型類人境の社会の強い階層構造の間には、明らかな対照がある。(中略)自給採取者が農業専門家として定住するようになって、より大きな集団で生活し始めた時に、階層的な行動は、現代の人々の間に最近になって戻ってきた。P200

 多くの伝統的な社会では、植物性の食物が80%をしめ、動物性ものは20%に満たないという。
植物性のものの多くが、女性によって入手されている。
だから、狩猟活動の役割は低いという説がある。
しかし筆者は、肉のしめる割合の小ささのために、肉食行動を低めるのは適当ではないという。

 肉食行動こそ、人間の複雑な社会をつくった原動力だったという。
筆者の考えには、完全には同意できないものの、オスの間には優劣関係があり、すべてのオスがすべてのメスに優位するのは事実であろう。
そして人間社会も、すべての社会において男性間に序列がある。
しかも男性が女性に優位しているので、それを説明する理論が欲しい。

 男性優位が出現するところでは、男性のより大きいサイズと強さの組合せ、男性の連合、そして女性同士の強い同盟の欠如に基づいている。P209

という部分には、私は同意する。
やはり人類に共通の何かが、男性優位の社会をつくったのだと思う。
しかし、それがサルたちの社会から続いてきたのか、どうかは判らない。
本書を、女性たちも冷静に検討することを望みたい。
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参考:
M・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか 生態人類学から見た文化の起源」ハヤカワ文庫、1997
クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994
ダイアン・コイル「脱物質化社会」東洋経済新報社、2001
谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫 2008(2001)
青山二郎「青山二郎文集」小沢書店、1987
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002

谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004年 
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008
矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
R・L・パーク「私たちはなぜ科学にだまされるのか」主婦の友社、2001
平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社)
匠雅音「家考」学文社
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう」鹿島出版会、1985
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命 ハッカー倫理とネット社会の精神」河出書房新社、2001
マイケル・ルイス「ネクスト」アウペクト、2002


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