匠雅音の家族についてのブックレビュー   総動員帝国−満洲と戦時帝国主義の文化|ルイーズ・ヤング

総動員帝国
満洲と戦時帝国主義の文化
お奨度:

筆者 ルイーズ・ヤング   岩波書店 2001年 ¥7200−

編著者の略歴−コロンビア大学Ph. D 取得。ニューヨーク大学助教授。日本近代史。
 1932年に建国された満洲国への熱狂振りを、細かい資料をあたりながら丹念に記述している。
日本人にありがちなイデオロギー優先感もなく、資料と格闘しているのには好感が持てる。

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 軍部が押しつけた戦争というのが、世情の通り相場だが、軍部だけで満洲国ができたわけではない。
当時の国民が一丸となって、満洲国への進出をになっていた。
本書は国家活動という側面だけではなく、開拓民や移民を送り出した農民の事情なども丁寧にひろっている。
 
 満洲事変のあいだ、満蒙問題は閣僚のみならず地方の政党政治家の心も占めた。商工会議所や労働組合はともに満蒙開発への分け前を求めて、熱心にロビー活動を行った。小作人も地主も、男も女も子供も区別なく、帝国建設に情熱をそそいだ。上から下へ、下から上へと、帝国の機関を通じて社会のすべての構成員が満洲国のプロジェクトヘ動員された。P14

というのが本書の認識である。
当然であろう。 

 世を挙げて戦争へと突き進むなかでは、戦時経済に従事することなしには利益があげられない。
経済活動をする者であれば、誰でも利益がなければ、会社はつぶれるし生きていけないのだ。
それは労働組合でも農民でも例外ではなかった。
経済的な利益を求めて行動することは、いつの時代でも普遍的な原理である。

 ピラミッドは奴隷労働によって造られたという人がいる。
しかし、嫌々ながらの奴隷労働では、あんな巨大な物を作ることはできない。
スカイ・ツリー建設に従事した現代の職人と同様に、当時の建築労働者も誇りを持って建設に従事したに違いない。
戦争も同じである。

 軍部以上に熱心に戦争を賛美したのは、マスコミだった。
マスコミだって、売れてナンボの組織である。
戦争物が売れるとなれば、マスコミはこぞって書きたてたのである。

 マス・メディアは満洲事変以前の戦役でも英雄を生み出すのに役立っていたが、満洲事変の英雄陳列室に群立したその数は、日清・日露戦争の「聖像」を圧倒した。もちろん、軍事動員の規模は日活・日露戦争の方がより大きかった。しかし、1931〜33年の戦闘に実際に参加した人数がずっと少なかったからこそ、文化的栄誉のため選び抜かれた者の数はふやす必要があったと思われる。これはひとつには、死者があまり多くないときの方が、死の美化が容易であるという事実に基づいていた。戦場の英雄的行為に対する読者の渇望は、戦争が拡大し犠牲者のリストがかさんだ後には鈍くなるだろうが、1931年段階では、大陸の新しい戦争での息子や夫の犠牲は、ほとんどの日本人にとってまだ抽象的なことであった。満洲事変における英雄増加の第二の理由は、日清・日露戦争以後のマス・メディアの成長に求められる。P29

 当時でも満洲占領への反対はあった。
「東洋経済新報」などが反対した。
しかし、ラジオや全国紙は、自己犠牲的な美談を報道し、満洲への進出を熱狂的にあおった。
政府や軍部がプロパガンダをしただけではなく、むしろ部数を増やしたかったマスコミが、先頭に立って好戦的な報道に興じたのである。

 1930年当時は世界恐慌の影響で、我が国でも経済的な困窮が激しかった。
とりわけ農村部の疲弊は激しく、余剰労働力の処理に呻吟していた。
もともと狭かった耕作面積に、都市から戻った者をかかえたので、農村はますます困窮していった。
そこへ満洲国への移民の話である。

 小作人の借金さえ解決すれば、地主だって満洲国への移民は歓迎した。
満蒙へ莫大な国家予算が投じられた以上、経済界だって利益を求めて進出していった。   

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 答えは、実業界と陸軍支配下の満洲国政府とのあいだに形成された協力関係の特異な性質にある。やはり両者は、満洲を舞台として提携していたのである。彼らは満洲の将来について頻繁に対立したし、開発目標の点でも対立していたが、どちらも公然と争うことは望んでいなかった。陸軍は大蔵省や商工省からの非難を覚悟しなければ実業界を排斥することはできなかったし、実業界も陸軍のなんらかの協力なしには、満洲でやっていけなかった。こうして協力関係が生まれた。この協力関係が満洲国建設の財政的基盤を提供した。P101

 しかし、軍と経済界の協力は、同床異夢であった。
軍は夢の帝国建設が目的だったが、経済界は利益追求だけが目的だった。

 利益追求が目的だとはいえ、ほぼ白紙の状態に都市計画や鉄道が敷かれた。
アジア号や新都市建設は、超近代性の最新技術を用いてなされた。
古い地権者もいなかったので、建築家や技術者は、自分たちの好むように仕事ができた。
本国では水洗便所など、まったく普及していなかったにもかかわらず、満洲国の新京では下水処理施設が完備し、水洗化されていた。

 新たな満洲は、旅行の対象でもあった。
発足したばかりのJTBは、本国の従業員数より満洲の従業員数のほうが、大きく伸びていた。
1909年に「満韓ところどころ」を書いた夏目漱石にならって、多くの文化人が満洲レポートを寄稿していた。

 満洲には本国では活動が許されなかったマルクス主義者や左翼活動家もたくさんいた。
しかも、彼らが満洲国を理想郷として、研究開発の対象としていた。
自分のアイディアが実践に使われるのは、研究者にとって冥利に尽きたから、必死で満洲国に奉職したのである。
 
 満洲開拓という考えは学校の教員や帝国を草の根で支えている主体に訴えかけるものであった。なぜならば、この考えは、貧困と抑圧にあえぐ農村の下層民たちにとって別の生き方を提示しているように見えたからである。農村で社会改革を推進していた者たちは、下層民の移住先となる新天地にみずからの心血を注ぐことを表明し、都市部で社会改革を推進していた者たちと同じ目的をもち、同じ活動を行った。農村での社会改革を推進する彼らは、内地での社会改革の実現という夢を帝国に重ね合わせたのである。ここで、社会改革という夢を実現するための空間として満洲国が存在した、という誘引力について再び確認しておかねばならない。この時代に生きた日本人にとって、1930年代の帝国建設とは、単に軍国主義として片づけられるようなものではなかったのである。P251

 敗戦に向かった満洲が、どのような状況に陥ったかは周知であろう。
我が国では、引き揚げ者達の苦労話だけが流布している。
しかし、満洲にいた中国人達をおしのけて進出した日本人は良い思いもたくさんしたのである。
 
 1930年代初頭の軍事動員の時期に満洲国を経験した女性にとって、満洲国とは初めての公的な活動、つまり危機の時代にあって国家的な共同体を再結集したものへの初めての参加と結びついている。満鉄のスタッフとして働いた学者にとって満洲国とは、良い就職口であり、歴史的な植民地における実験のチャンスを意味していた。村の開拓団員を率いて満洲にやってきた団長にとっての満洲国とは、生活を破綻させた貧困と負債とは無縁の生活を送るためのチャンスを意味したし、内地では満たされなかった政治的・社会的な指導力を発揮したいという個人的な野心もあった。(中略)総動員帝国に本質的な一体性を与えたものは、日本人の抱いていた、個人的な野心を超えた組織や集団を背景とした理想であって、満洲国が一体性を保持した理由もそこにあった。P287

 他国のことは良く見通すことができる。
筆者は反戦意識が強いらしく、ベトナム戦争やイラク侵略を苦々しく思っている様子が、日本語版への序文に書かれている。帝国と帝国主義をめぐって、筆者の考えは真摯である。
(2012.8.30)
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参考:
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佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社 2001
菊澤研宗「組織の不条理」ダイヤモンド社、2000
ガバン・マコーマック「属国」凱風社、2008
ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」岩波書店、2002
サビーネ・フリューシュトゥック「不安な兵士たち」原書房、2008
伊藤桂一「兵隊たちの陸軍史」新潮文庫、1969
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
田嶋雅巳「炭坑美人 闇を灯す女たち」築地書館、2000
モリー・マーティン「素敵なヘルメット 職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
シェア・ハイト「なぜ女は出世できないか」東洋経済新報社、2001
山本七平「空気の研究」文春文庫、1983
山本七兵「日本資本主義の精神」光文社文庫、1979

エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
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オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992
クロード・レヴィ=ストロース「親族の基本構造」番町書房、1977
湯沢雍彦「昭和前期の家族問題」ミネルヴァ書房、2011
吉川洋「高度成長」中公文庫、2012
イアン・ブルマ「近代日本の誕生」ランダム講談社、2006

ルイーズ・ヤング「総動員帝国」岩波書店、2001

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