匠雅音の家族についてのブックレビュー   日本の風俗嬢|筆者 中村淳彦

日本の風俗嬢
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筆者 中村淳彦(なかむら あつひこ)  新潮新書 ¥780− 2014年

編著者の略歴−1972(昭和47)年東京生まれ。大学卒業後、フリーライターとなり、ノンフィクション、ルポを執筆。 著書に「名前のない女たち」「職業としてのAV女優」「崩壊する介護現場」など。
 いささか憂鬱である。
1997年に「核家族か ら単家族へ」を上梓して、家族の形が個人化して、単家族化していくと述べた。
単家族化するのは時代の趨勢であり不可避なのだが、それに伴う負の面が非常に大きくなってきてしまった。

 我が国の家族政策は、少子化を克服するという名目で、まったく的外れなことをやっている。
今の内閣を見ても、女性大臣の全員が核家族守護者である。
女性の社会進出を図ろうとするより、女性を核家族という家庭につなぎ止めて、子産み子育てに専念させようとしている。
そのため、核家族を作らない人たちが貧乏になってしまった。
これでは少子化が進むだけだ。

 情報社会化は社会を豊かにしたが、個人を孤立させた。
主流から外れた人を冷たく厳しい境遇へと落とし込んだ。
家族が個人化して単家族化するのは不可避なのだが、個人化を補完するシステムを提案できないでいる本サイトはもどかしいばかりだ。
風俗は社会のセーフティーネットだった。
風俗は社会を映す鏡だが、その風俗にも格差の波が押し寄せている。
 
  風俗嬢という鏡が映しだすものは何か。それについては本書を読んでいただきたいが、最初にお断わりしておけば、「お金のために腹をくくつて裸の世界に飛び込み、涙を流しながら性的サービスを提供している」といったイメージはすでに過去のものである。
 どこにでもいる一般女性がポジティプに働いている。高学歴の者もいれば、家族持ちもいる。これが現在の普通の光景である。P13


と言う風景になったのは、売春を肯定する本サイトとしては、とても良いことだと思う。
セックスワーカーは労働者なのだから、社会に普通に暮らせるようになるべきだ。
しかし、平均的な風俗嬢たちが、生きていけなくなっているというのだ。

 酒井あゆみの「セックス・エリート」でも言っていたが、社会の格差が広がり、普通の職業で稼げない女性が、競って風俗に入ろうとしている。
風俗はきわめて狭き門となあり、風俗嬢となるレベルがガンと上がってしまった。
そして、セーフティーネットどころか、ごく一部のハイレベルの人しか、風俗嬢になれない事態が発生しているという。

 風俗嬢の人数はざっと35万人いるという。
たくさんいるように感じるが、10人が面接に来ても、採用されるのは2〜4人だという。
可愛くてスタイルの良い女性でないと、まったくお呼びでないのが現実である。
しかも、太ってスタイルがかわると、とだちに首になる世界らしい。
 
  「草食化」という言葉に象徴されるように、性風俗に対する男性側の需要は下落している。それなのに女性が大量に流入してくるとどうなるか。
 当然、供給が需要を上回ることになる。すると供給側で激しい競争が繰り広げられる。かくして2000年代以降は風俗嬢というスタートラインに立つまでに激しい競争が起こるようになつた。
 供給過剰なので、雇用する性風俗店と客による女性の選別が始まる。容姿を中心とした外見スペックだけでなく、接客サービス業なので技術、育ちや性格や知性などを含めたコミュニケーション能力が加味されて、性風俗がセーフティネットではなくなり、選ばれた女性が就く職業になってしまった。
 そのため本章の冒頭で述べたように、貧困に悩んで最後の手投として覚悟をしても、そこに食い込めるだけの外見スペックと能力を持っていなければ門前払いとなる。これが原状である。P140

 その結果、風俗嬢になれない女性が大量発生している。
そのため、風俗嬢になれた女性には風俗嬢であることにポジティブなメンタリティをもたらし、風俗嬢であることに一種のエリート意識すら持たせることになった。

 職業意識の自覚それ自体は良いことだが、風俗の細分化・精鋭化は先細りになるのではないか。
そんな感じを持たせるのである。
風俗が社会を映す鏡だとすれば、平均的な女性ですら風俗から爪弾きにされていく光景は異常である。

 偏差値が65以上、つまり誰でもが美人もしくは可愛いと思う顔立ちに華やかさがあり、Dカップ以上の胸、美しいスタイル、社会性や知性も備えているのでなければ、高級ソープランドには勤務できない。
偏差値が55〜62がそれに続くレベルで、それでも都市部のファッションヘルスや大衆ソープランドにしか勤務できないのだ。

 偏差値50が平均値だから、どのくらいのレベルが要求されているか判るだろう。
小学校のクラスの半分の女性は、風俗嬢になれないのだ。
 それでいながら、労働基準法はもちろん社会保障も受けられないのが、風俗という仕事である。
西洋諸国では、売春を合法とする動きが広まっている。
本書は次のように言う。

 性風俗は社会に認められていないが、社会に必要な仕事である。数十万人規模の雇用が生まれているし、救われている男性も膨大である。社会全体の雇用が縮小している中で、風俗嬢をする女性たちが若さや肉体を切り売りして使い捨てられるのではなく、専門知識と技術を身につけて、労働基準法に則って働き、法律や制度による保護を受けたうえで、心身の健康を損なわずに、長く継続できる職業にしよう、という坂爪氏の問題提起は非常に重要である。P219

 セックスワーカーを労働者として認知することは火急の仕事である。
それは本サイトが以前から主張してきた。
アレクサ・アルバート「公認売春宿」やジャネット・エンジェル「コールガール」、シャノン・ベル「売春という思想」を読んで欲しい。

 本書を読んで、もっとショックだったことは、おそらく風俗以外の職業も、風俗と同じように格差が拡大するのではないか。
そうした予感を強く感じたのだ。風俗の世界ですら格差が広がり、二極分解している。
それは近い将来の職業全体の縮図だろう。

 我が国の大学フェミニズムは、売春を男性支配の象徴と見て、風俗に関わる女性を否定してきた。
そのため、セックスワーカーの待遇改善には尽力しなかった。
いまだに売春は貧困から身売り同然で行うものと見なしているから、風俗で働く女性の実像がまったく見えていない。

 海外のフェミニズムは売春を合法化し、生産業に従事する女性を労働基準法の対象としつつある。
誰の発言だか不明だが、次のような文章がある。
 
 「去年、オーストラリアのセックスワーカーたちの子日本に来てもらって話を聞きました。日本より稼げるって話で、単価もいい。オーストラリアの女の子たちは、普通に1日4万円くらい稼いでいます。その女の子の容姿は一般的だし、特にできる風俗嬢ってわけじゃない。でも、個人でウェブサイトもって集客して中間搾取はされておらず、日本のように値下げ合戦になっていないから、日本よりも状況が良くなっている。アメリカもそう。」P239

 自分の身体をつかって、それを仕事とすることは、自己決定権のなかにあるだろう。
どんな仕事でも、継続しなければ成り立たない。
継続させるためには、お客と好感あふれるコミュニケーションが必要だし、だからこそ我が国の風俗嬢はレベルが高くなってしまった。

 風俗はもはや女性のセーフティーネットではない。
この事実は、なにも風俗だけに限らない。
どんな職業も、稼げる人と稼げない人に仕分けされ始めている。
弁護士でも歯医者でもすでに稼げない人がいるし、今後は企業に勤めても稼げない人がでてくるだろう。

 肉体にはそれほどの違いがない。
だから、肉体労働では大きな差が生まれることは少なかった。
日当が2万円の大工社会では、4万円を稼ぐことは至難の業である。
しかし、頭脳労働の成果は何百倍にもなる。
だから、頭脳労働が支配的な社会では、貧富の格差が拡大して、弱者が大量発生してしまう。
ガードマンもセーフティーネットではないに違いない。

 単家族化するのは不可避でありながら、本サイトも頭脳労働が支配する社会の残酷さを解消できない。
解決の方向性さえ指し示すこともできない。
今、風俗嬢が置かれている状況は、職業全体の明日の姿である。
本書からは恐ろしい未来が見えている。(2014.07.30)
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参考:
伊藤友宣「家庭という歪んだ宇宙」ちくま文庫、1998
永山翔子「家庭という名の収容所」PHP研究所、2000
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
信田さよ子「母が重くてたまらない」春秋社、2008
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
ミシェル・ペロー編「女性史は可能か」藤原書店、1992
マリリン・ヤーロム「<妻>の歴史」慶應義塾大学出版部、2006
ジャーメン・グリア「去勢された女」ダイヤモンド社、1976
シモーヌ・ド・ボーボワール「第二の性」新潮文庫、1997
亀井俊介「性革命のアメリカ」講談社、1989
イーサン・ウォッターズ「クレージ・ライク・アメリカ」紀伊國屋書店、2013
岩村暢子「変わる家族、変わる食卓」中央公論新書、2009
中村淳彦「日本の風俗嬢」新潮新書、2014

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