匠雅音の家族についてのブックレビュー      母は娘がわからない−子離れのレッスン|イヴリン・S・バソフ

母は娘がわからない
子離れのレッスン
お奨度:

著者イヴリン・S・バソフ   創元社、1996年 ¥1800−

編著者の略歴−臨床心理士の資格をもち,個人開業でセラピーを行う。コロラド大学カウンセリング心理学助教授。2人の子どもと夫とともに,アメリカ・コロラド州ボールダーに住む。

 母子密着とか母子相姦とかといって、もともと我が国では、母親と子供の関係は濃いといわれてきた。
母親が子供にべったりして、子供は母親に頼って、両者はなかなか自立できないといわれてきた。
しかし、この母子関係は、息子との間をいわれたものだ。
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 それが少し事情が変わってきたようだ。
信田さよ子の「母が重くてたまらない」にしても、香山リカの「母親はなぜ生きづらいか」にしても、母と娘の関係を描いている。
『しあわせ家族』という嘘」を書いた村本邦子にしても、カウンセリングにくるのは、母と娘の問題が圧倒的で、父との関係はきわめて少ないという。

 本書はアメリカの事情を書いている。
カウンセラーが書いたものだから、カウンセリングにくるのは、女性が多いということなのかもしれない。
しかし、一連の母娘物に共通しているのは、母親が専業主婦であることだ。
たとえ、母親が働いていても、働くことで娘にかかわる時間が充分にとれず、娘に申し訳ないと感じている。
つまり、母親という女性が、社会でフルタイムワーカーとして、働くことを肯定できない背景がある。
筆者もそれを指摘している。

 ぜひここで、しつかりと考えてほしい。母親専業の状態からそうでない状態に移行するには、たしかに大変な努力が必要だ。けれどもそうした努力を経て、意義ある仕事を見つけ出す権利はすべての女性がもっている。このことに気づいていない女性があまりに多いのではないだろうか? P17

 かつて女性も、田や畑で男性並みに働いてきた。
とにかく食べること、それが優先されたのだ。
子育ては労働の片手間でおこなわれ、女性が子育てに専念することはなかった。
しかし、近代に入って社会が裕福になり、女性は働かずに家庭で過ごすようになった。
そして、いまや子育てといったら、女性の専売のような感じすらある。

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 女性が働き手だった時代、子育ては片手間仕事だった。
だから、子供の生育段階に関係なく、母親は同じスタンスで子供に接した。
子供が小さなときにも、母親の最大関心事は、収穫の多寡である。
もちろん子供が成人しても、最大関心事は変わらず、どう喰っていくかだった。

 女性が家庭に入ってしまうと、女性の子供に接するスタンスが、子供の年齢によって変わるのだ。
子供が小さなときには、母親の最大関心事は子供である。
しかし、子供が思春期を迎えて、自立はじめると、最大関心事である子供から疎遠にされてしまう。
ここで母親は、最大関心事を失うのだ。

 本書はカウンセリングの体験から、こうした例もある、ああした例もあったと、引用する。
そのため、きわめて散漫になっている。
しかし、共通する原因は、女性に一生の職業がないことだ。
そのために、生き甲斐だった子供が育つとき、女性から重要な何かが奪われるように感じて、母親はもがき苦しむのだ。

 専業主婦をしているある友人は、家族みんなの悩みを引き受け、家事いっさいを一人で切り盛りする暮らしにうんざりして、悲しそうにこう言った。「これが私の人生といえるかしら?」
 それに比べて、再婚し人びとが入れ代わり、何人もの継母や継父や継子が入り乱れる現代の新しい家族のかたちは、ある意味でかつての大家族がよみがえってきたような感すらある。こうした家族のあり方は一組の親や片親には重すぎる負担を、何人かの大人で分担することで、ずっと楽にしてくれているのではないだろうか? 継母と実母(あるいは継父と実父)が力を合わせて思春期の子どもたちを支え、ガイド役を果たしてやれると考えるのは、あまりに楽天的にすぎるだろうか? P258


 専業主婦はかわいそうである。
男性は一生働き続ければいい。
自分のスタンスを、子供の成長に応じて変える必要はない。
それにたいして、専業主婦は子供成長に応じて、自分のスタンスを変えなければならない。

 子育てが一番の仕事である時代に、子供が親離れしていくのは、身を切られるようだろう。
自分から重要な仕事がなくなるのだ。
誰だって喪失感に襲われるだろう。
思春期になれば、子供は巣立っていく。
それが当然の仕組みである。
子供が巣立たなければ、人類は滅びていただろう。

 伝統的社会の女性たちは、一生を同じスタンスで過ごした。
しかし、近代の女性は、子育てや母性愛を押しつけられた。
そのおかげで、子育ての終わった中年期に、生き方を変えるように強制された。
ここに本書をはじめ、前掲書があげる母親の悩みがある。
やはり性別役割分担が、諸悪の根元である。  (2010.7.3) 
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参考:
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」 筑摩書房、1994
江藤淳「成熟と 喪失:母の崩壊」河出書房、1967
田中美津「いのちの女たちへ」現代書 館、2001
末包房子「専業主婦が消える」 同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、 1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジ ンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワー クス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、 1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」 大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書 房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現 代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職 域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」 宝島文庫、2000(宝島社、1992)
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」 とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新 潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参 画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」 ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、 1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべ きではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」 東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」 角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、 2004
大塚英志「「彼女たち」 の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」 有斐閣、2004
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、 2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」 水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、 1972
水田珠枝「女性解放思 想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書 店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、 1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」 思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書 店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト 経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」 平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」 現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の 水書房、1987
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、 2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社 会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」 二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、 2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、 1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、 1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、 1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」 中公新書ラクレ、2009
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文 庫、2003
光畑由佳「働くママが日 本を救う!」マイコミ新書、2009
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」 草思社、1997
奥地圭子「学校は必要 か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子 供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもから の自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男 だけの育児」飛鳥新社、2001
末包房子「専 業主婦が消える」同友館、1994
熊沢誠「女性労働 と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史  まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
信田さよ子「母が重くてたまらない」春秋社、2008
匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997
イヴリン・S・バソフ「母は娘がわからない」創元社、1996

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