匠雅音の家族についてのブックレビュー   絶望の国の幸福な若者たち|古市憲寿

絶望の国の幸福な若者たち お奨度:

筆者 古市憲寿(ふるいち のりとし)  講談社 2011年 ¥1800−

編著者の略歴−1985年東京都生まれ.東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍。慶應義塾大学SFC研究所訪問研究員(上席).有限会社ゼント執行役.専攻は社会学.大学院で若者とコミュニティについての研究を進めるかたわら、有限会社ゼントでマーケティングIT戦略立案等に関わる.著書に『希望難民ご一行様:ピースポートと「承認の共同体」幻想』(光文社新書)、『遠足型消費の時代:なぜ妻はコストコに行きたがるのか?』(共著、朝日新書)がある。
 ニート、ワーキングプアー、非正規労働者など、さまざまなメディアが若者はかわいそうだ、と言う。
そうした風潮のなかで、今の若者は幸せだと感じている、と筆者は発言した。
本サイトでは流行にのって話題になった本は、なかなか取り上げないものだ。
そんな偏見を払って読んでみたら結構おもしろかった。
結論はやはり若者はかわいそうというのだが、その切り口がちょっと新鮮だった。
TAKUMIアマゾンで購入

 現代の若者の生活満足度や幸福度は、ここ40年間の中で一番高いことが、様々な調査から明らかになっている。たとえば内閣府の「国民生活に関する世論調査」によれば、2010年の時点で20代の70.5%が現在の生活に「満足」していると答えている。そう、格差社会や世代間格差と言われながら、日本の若者の7割が今の生活に満足しているのだ。
 この満足度は、他の世代よりも高い。30代でこの数値は65.2%、40代で58.3%、50代では55.3%まで下がる。P8


 幸福感というのは感じ方だから、感じ方に基準があるわけではなく、じつはどのようにでもなる。
最近の社会学は意識調査が大好きだが、意識調査の結果どおりに社会が動くかというと、そうとは限らない。
本サイトは意識調査をあまり信じておらず、むしろ社会変化のなかに法則性をみいだすことに力点をおいている。

 さて、いくら現在の若者が幸福と感じているからといって、筆者だって若者のおかれた状況が厳しいことは良く承知している。
年金だって怪しいし、収入だって上がる見込みはないだろう。しかし、現在の若者たちは時代をよく知っているのだ。

 高度経済成長の頃は、たしかに職業もたくさんあったし、社会が豊かになっていった。
しかし、よく考えると、けっして良い時代ではなかったという。
長時間労働に公害、体罰の横行など、いまでは考えられないような現象がまかり通っていた。

 この意見にはまったく賛成で、工業社会の初期つまり農耕社会の残滓を引きずった工業社会というのは、前近代の遺物がたくさん残っていた。
なにしろ肉体労働が社会を支えていたのだが、肉体的な力つまり腕力=暴力がむき出しで行使されていた。
その結果、性別役割分業があったのだし、年齢秩序が支配していたのだ。

広告
 工業社会がもたらしたものは偉大である。
テレビも、パソコンも、インターネットも工業社会のもたらしたものだ、今の若者たちには、こうした物がない社会は想像がつかないだろう。
そうしたことから、今の社会を選択するだろうと筆者は言う。
そうだろうと思う。
当サイトも昔に戻りたいとも思わないし、昔のほうが良かったとも思わない。
昔のほうが人情があったとか、人々が助け合ったというのも信じない。

 今の若者のほうが、高齢者たちよりはるかに公衆道徳は高いし、親切でマナーも良い。
高齢者たちは昔の自分を忘れて、自分の意のままにならない今の若者を見ているに過ぎない。
今度の大震災でも、ボランティアとして活躍したのは若者たちだ。
老人たちはボランティアなどやろうとしない。
原発を救う老人の会に手を上げたのは、たった1000人程度だ。

 若者に愛国心が足りないといって老人たちは騒ぐが、決してそんなことはない。

 ここで真面目に、統計データに向き合いながら、若者の愛国心の話に戻ってみよう。「社会意識に関する世論調査」を見てみると、20代の「国を愛する気持ち」はこの10年間で上昇傾向にあることがわかる。「国を愛する気持ち」が「強い」と答える若者は、一時期22%まで下がったが、ここ数年は30%を超えている。特に2011年の37%という数値は、過去最高のスコアでもある。
 また「日本に生まれて良かった」と考える若者も増えている。特に20歳から24歳に限って見てみると、1973年に82%だったその数は、1983年には93%になり、2008八年にはなんと98人%に達する。同様に、「自分なりに日本の役に立ちたい」と思う若者も増えている。なんだかんだ言って、みんな日本が大好きなのだ。P149


 愛国心は高いが、しかし、他の国とは違う現象がある。
それは国防意識が低いのだ。
戦争が起きたら国のために戦うかという質問に、他の国の若者たちの60〜80%が<はい>と答えている。
にもかかわらず、我が国の若者では<はい>と答えたのは15%しかいないという。

 これは当然のことだろう。
外国に行くとよくわかるが、我が国の政府は国民を守らない。
大使館をはじめ海外公館は、国民より天皇や皇族やその取り巻きたちのほうを向いている。
アメリカ人たちは、有事の際はアメリカ大使館に逃げ込むというのは、大使館が自国民を保護するからだ。
我が国の海外公館はそうではない。
もし何かあったら、日本人であってもアメリカ大使館に逃げ込んだほうが良いかもしれないくらいである。

 それは国内の政策を見ていてもわかる。ほんとうに国民のために政治をしていないのだ。
それを若者たちは本能的に知っている。
筆者は民主主義の輸入に失敗したかも知れないといっている。
この意見は面白い。

 特に少子化対策に関して、日本は完全にヨーロッパ諸国に遅れを取った。少子化の原因と対策を明らかにする普遍理論は存在しないが、日本はあまりにも、子どもを生み育てる環境が整つていない。
 育児をしながら働ける職場も少ないし、保育園や幼稚園も不足している。待機児童問題がまるで解決されないあたりに、行政の少子化に対する本気度が透けて見える。そもそも雇用状況が不安定な中で、結婚や出産に踏み切れない若者も多い。少なくとも、短期的な動向としては、景気が良い時ほど出生率は上がる傾向がある。
 また、本当に少子化をどうにかしたいなら、婚外子差別なんてもってのほかだ。
 シングルマザーを推奨してもいいくらいである。日本ではわずか2%程度の婚外子だが、スウェーデンやフランスでは婚外子の割合が50%を超えている。どんな状況であろうと「子どもを産んでも何とかなる」環境の整備が出生率上昇に寄与していることは、想像に難しくない。P241


 結論から言うと、高度成長期とは時代がまるで変わってしまい、高齢者の感覚では適応できないでいる。
かつては普通だった正社員と専業主婦という組み合わせは、今から見ると社畜にしか過ぎない。
とても社畜になる気にはなれない。
若者たちは未来が明るいとは思っていないが、若者たちが現状を改革していくには余りにも状況は過酷なのだ。

 高齢者たちは初期工業社会の論理で考えているが、近代化がもはや通用しない。
むしろ若者たちより高齢者のほうに問題があるのだろう。
それが証拠には、生活保護を受けている人の40%は高齢者だし、自殺するのも高齢者に多い。
少なくとも今の若者たちは、明日に困るほど貧乏ではない。
将来に不安はあるが、希望なんてないから、現在に満足せざるを得ないのが若者たちなのだ。
 (2012.12.8)
広告
  感想・ご意見・反論など、掲示板にどうぞ
参考:
木村英紀「ものつくり敗戦」日経プレミアシリーズ、2009
J・S・ミル「女性の解放」 岩波文庫、1957
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
田嶋雅巳「炭坑美人 闇を灯す女たち」築地書館、2000
モリー・マーティン「素敵なヘルメット 職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
シェア・ハイト「なぜ女は出世できないか」東洋経済新報社、2001
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か その言説と現実」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、
I・ウォーラーステイン「新しい学 21世紀の脱=社会科学」藤原書店、2001
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
匠雅音「家考」学文社
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992
クロード・レヴィ=ストロース「親族の基本構造」番町書房、1977

芹沢俊介「家族という意志」岩波新書、2012

朝日新聞取材班「弧族の国」朝日新聞社、2012
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1995
クリス・アンダーソン「MAKERS」NHK出版、2012
井上孝司「戦うコンピュータ 2011」光人社、2010
古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」講談社、2011

「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる