著者の略歴−エジンバラ大学助教授(社会学)を経て、現在、同大学社会科学部教授(経済史) 西ヨーロッパの家族史研究は、1960年以降に活発になった。 家族史研究にもコンピューターが導入されて、統計的な処理が主流になると、家族史研究は大きく進んだ。 1980年にその流れを概括したもので、現在ではすでに時代遅れになってしまった感じがする。
コンピューターが導入される前、家族史研究は資料が少なく困難だった。 そうした中で家族復元法によって、徐々に家族にかんする事実が解明されてきた。 この方法は、我が国にも持ち込まれて、速水融の「歴史人口学で見た日本」などの業績となっていく。 家族復元法が普及する前は、結婚率にしても結婚年齢にしても、ほとんど分かっていなかったし、出産年齢も分かっていなかった。 いまでは、ほとんどの人が結婚するのが、当然と考えられている。 しかし、土地しか生産手段がなかった時代には、結婚できるかどうかは難しい問題だった。 女性が一生のあいだに産む子供数は、あきらかに減ってきた。 手軽で安全な避妊が、普及していなかったことも手伝って、1900年以前は6人くらい産んだのにたいして、1910年になると3人になり、現在では2人になっている。 そして、その内容にも変化があった。 家族史家たちにとってもっとも重要な意味をもつのは、子ども数の減少ということよりもむしろ、結婚生活のライフ・サイクル全体にわたっての子ども数の変化の分布である。出生数は、20世紀以前の人口では、女性が年を取るにつれてほんのわずかの減少があったものの、受胎可能な全期間にかなり均等に広がっていた。 これとは対照的に、1900年以降、出産力を制限してきた主たる作用は、子育ての期間を結婚生活の早い時期に圧縮してきたことである。その結果、17世紀と18世紀のヨーロッパの人口の場合、初婚から末子出産までの平均的な子育て年数は14.4年であり、また、1880〜89年生まれのアメリカの妻たちの場合では、それが平均11.5年であるのに対して、1950年代に生まれた妻たちの場合には、この数値は8.5年以下になるだろう。P18 婚外妊娠や私生児の誕生にも、脚光があたった。 そこで分かってきたことは、晩婚だから非嫡出児が多いこともないし、若いときに結婚するから非嫡出児が少ないこともない、ということだ。 結婚年齢と、私生児の誕生は関係なかった。 そして、間借り人の存在や同居人の存在は、家族のあり方を、現在とはずいぶんと違うものにしていた。
人間は生きていくために、家族という集団をつくったのだ。 家族集団の中に、夫婦家族以外の血縁者をおいていたのは、人口のわずか3%だった。 使用人とか家事手伝いとかといった、労働力を提供する人たちが同居していた。 そして、そうした非血縁者たちも家族と見られていた。 家族復元法つまり人口動態研究によって、家族構成員の内容が分かり始めた。 すると家族に関する事実と同時に、家族感情の研究も進んだ。 そして、家族構造の変化、つまり実体としての家族だけではなく、理念としての家族に関心が向いた。 その代表が、アリエス、ショーター、ストーン、フランドランであるという。 アリエスについては、アリエス・ショックというほど有名で、本サイトも「<子供>の誕生」 をとりあげている。 また、ショーターには批判が多いが、「近代家族の形成」 もやはり必読だろうと思う。 これらの人たちは、同居していても、現在の家族感情とは違うという。 ボクの「核家族から単家族へ」 も、<観念としての家族意識>を重視しており、これらの系列にたつものである。 1対の男女とその子供という核家族が、農業を主な産業とする時代からあったとしても、農業社会で主なる家族理念として、社会的に肯定されていたのは核家族ではなかった。 農業社会では大家族のほうが、より好ましい家族理念だったはずである。 事実としての家族の平均的な人数ではなく、家族の人たちを支配する家族意識こそ、入念に語られなければならない、とボクは考える。 相続における土地の分割可能性も、また大きな問題だった。 相続にしたがって、分割し続ければ、やがて小さな土地しかなくなってしまい、それでは家族が生きていけなくなる。 農業しか産業がなかった時代、相続にも地方ごとの規則があったはずである。 つまり農業社会では、農業社会の支配的な家族理念があったに違いない。 それは現在のような、消費しかしない核家族ではない。 かつての家族は、団らんの場であると同時に、イヤそれ以上に生産集団だった。 だから、働き手の多い家族を、好ましい家族の形と考えたはずである。 家族の構成員については、「新ヨーロッパ大全」が詳しい。 本書は、人口動態研究、家族の感情研究、世帯経済の研究と、3部に分かれている。 それぞれの分野で、象徴的な研究を取り上げて概括している。 ボクも人口動態研究のお世話になっているが、家族の感情と世帯経済の研究のほうに、重要性を見つけている。 (2009.11.13)
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