匠雅音の家族についてのブックレビュー   無頼化する女たち|水無田気流

無頼化する女たち お奨度:

著者:水無田気流(みなした きりう)  洋泉社 2009年 ¥760−

著者の略歴−1970年生まれ、神奈川県出身。詩人、社会学者。早稲田大学大学院社会科学研究科樽士後期課程単位取得満期退学。現在、東京工業大学世界文明センター・フェロー。2006年、国造16号線沿いのサパービアンとして育った原風景を織り込んだ第1詩集「音速平和」で第11回中原中也貰。2008年、第2詩集「Z墳」(ぜっきょう)で第49回晩翠賞。評論に、ロスジェネ・団塊ジュニア的自分史にツッコミを入れた「黒山もこもこ、抜けたら荒野デフレ世代の憂鬱と希望」(光文社新書)、共著に「雅子さま論争」(小社新書y)がある。よく男性に間違われるが∵応「児の母。「読売ウイークリー」に、限りなく産休ゼロのデタラメ育児生活をつづった子育てエッセイ「無宿渡世母がゆく」を連載していたが、休刊にてあえなく強制終了。続編となる子連れローカル鉄道紀行本を、2010年に刊行予定。http://blue.sakura.ne.jp/~intermezzo
 「無頼」という言葉は、ふつう正業につかず無法な行為をするとか、乱暴とか、横車押しといった悪い意味で使われる。
そのため、この筆者は女たちが悪くなっている、と言いたいのかと思った。
何を言いたいのか、最初のうちは、真意をはかりかねながら読んでいた。
最後になると、<女子たちよ無頼であれ>と結んでいたので、一種の逆説で安心した。
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無頼化する女たち

 筆者のいう無頼の意味は、「他に頼むものがなく、1人で生きていくことを前提に、あらゆる価値基準を決定するようになること」らしい。
これは当たり前のことだろう。
親のいうことにしたがっているのは、子供時代だけであり、いかに自立するかが大人への道である。
筆者の言う意味での無頼なら、肯定的にとらえて当然だが、ふつう無頼は必ずしも肯定的にはとらえられない。

 それにしてもよく判らない本である。
当たり前のことを、さも大変であるかのように書いている。
しかし、男女が等しくなるのは時代の趨勢であり、女性だけが誰かに依存して良いという時代は終わりつつある。
楽そうだから専業主婦になりたいと言っても、我が国の現状では、結婚して子供を産んで、家での子育てがどんなに大変か、多くの女性たちは知っているだろう。
だから少子化が進んでいるのだ。

 ベティ・フリーダンの「新しい女性の創造」を持ちだすまでもなく、フェミニズムは主婦の家出から始まった。
だから、日本がアメリカを追っている以上、専業主婦のなり手が減るのは当たり前のことである。
また、女性がフルタイムで働けば、オヤジ化するのも、また当然のことだ。
日本文化の中にいながら、女性だけは働いてもオヤジ化しないなどいうことはあり得ない。
筆者はオヤジ化を称して、無頼化と言っているのだろうか。

 欧米で60年代以降起こつた「第二次フェミニズム」−「第一次フエミニズム」は、19世紀以降、女性参政権獲得のために行われた運動だが、対して「第二次フェミニズム」は、日常に潜む性規範を批判した−は、男性に媚びる服装や化粧を否定した。ブラジャーを焼き捨てた人々もいる、などとも言われているが、重要なのはことの真偽よりも、女性的装いがシンボルとして攻撃された点である。P29

 同じようにフェミニズムを謳いながら、我が国のフェミニズムは、先進諸国のフェミニズムとは大きく変質していった。
女性が働くことを支援するのではなく、女性であることに拘り、子供を産むことに固執していった。
そして、我が国のフェミニズムは大学に立てこもった。

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 大学フェミニズムは働く女性を見捨てて、結局、母性愛から離れることができなかった。
映画「クレーマー、クレーマー」で、ジョアンナが泣く泣く子供を手放した痛みは、我が国のフェミニズムは理解できなかった。
しかも、女性の子育てより、職業を選ぶことを支持した動きは、ほとんど理解できなかったのだ。

 子育てより職業、これこそ先進国の女性たちがめざした流れだった。
そして、映画「スタンド アップ」が描くように、職業を手にしたあとで、子育てに向き合ったのだ。
いまや女性にとって、子育ては偉大な趣味である。
しかし、未だに仕事と子育ての両立と言っているのが、我が国のフェミニズムは職業の不可欠であることに無理解である。
どうしても、子供を手放すことができなかった。

 筆者はいまでも、自分は理想の母親とはほど遠い、といって謙遜している。
おそらく筆者のなかでも、子育てに専念するのが理想の母親像なのだろう。
子育てとは、野良仕事のあいまに行われるものだったのだ。
とすれば、机のかたわらでの子育てこそ、通常の子育てであり、母親像でもある。
筆者には理想の母親が、何なのか分かっていない。

 筆者も大学に籍を置き、上野千鶴子の後塵を拝しているので、大学フェミニストと言っていいだろう。
よくお勉強して、表層的な現象には詳しいが、社会変革のダイナミズムには疎い。
少子化は現在の家族制度が、産業構造と適合していない現れであり、女性の意識の問題ではない。
もちろん男性の意識の問題でもない。

 本書がいう<普通の幸せ>は、工業社会それも高度成長期のものだ。
結婚して子供をもち、郊外の住宅に住むなどいうのは、政府の持ち家政策に誘導されたものだ。
しかも、その裏には核家族政策があり、そこでは性別役割分業が好まれたし、正しかったのだ。
 現在でこそ評判が悪い性別役割分業だが、斉藤美奈子が「モダンガール論」でいうように、女性たちが嬉々としてそれにのったのである。
現在のままの核家族という家族制度が続けば、少子化はかぎりなく進行していくだろう。

 戦後、先進国の家族の三大変化には、「非婚化・晩婚化」「離婚率上昇」「婚外子出生率上昇」があげられる。日本の場合、前二者は当てはまるが、驚くほど「婚外子出生率」、つまりシングルマザーから産まれる子どもの率は上がらない。戦後すぐの時期をのぞいて、ほぼ1%台で推移し、近年2%になったが、その程度。
 一方、北欧諸国や近年出生率が回復したフランスなどでは、すでに婚外子出生率が過半数を占めている。P98


と言いながら、筆者は子供を産んでいる。
しかし、大学院まで進学できたのだから、なぜ非婚を選ばなかったのだろうか。
(非婚で子供を産んだかは、本書のかぎりでははっきりしないので、婚外子を産んだのなら謝ります)
個人の選択だから、自由だとはいえ、『女を幸せにしない「男女共同参画社会」』を書いた山下悦子と、同じような資質を感じる。

 人間は環境に適応しようとして生きるものだ。
それは高校中退のオチこぼれだろうと、大学院卒だろうと変わらない。
無頼化は社会への適応だろう。
しかし、残酷なことに適応に誤った個体は、淘汰されていく。
だから、淘汰される個体が少なくて済むように、社会学者は社会の制度設計を考えるべきだろう。

 本書のスタンスは、洋泉社という版元によるのだろうか。
女性の味方のような顔をしながら、女性バッシングしているように感じる。
女性が無頼化するなら、男性だって無頼化するだけであり、女性だけが特殊な生き方をするのではない。
女という問題の立て方に、疑問を感じた。  (2010.2.15) 
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参考:
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997

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