匠雅音の家族についてのブックレビュー      愛情という名の支配|信田さよ子

愛情という名の支配
家族を縛る共依存
お奨度:

著者:信田さよ子(のぶた さよこ)新潮文庫2000(海竜社1998)、¥505−

著者の略歴−1946年生れ。お茶の水女子大学大学院修了。臨床心理士。原宿カウンセリングセンター所長。アルコールを初めとする依存症のカウンセリングに一貫してかかわってきた経験から、家族の関係についての新しい提言を行う。著書に『一卵性母娘な関係』など。
 家族の機能不全にむけて多くの提言がなされるが、そのほとんどが的外れである。
家族のあり方は社会によって作られ、時代と共に変わっている。
にもかかわらず、多くの著作は工業社会の家族像つまり核家族を基本モデルとしている。
だから、現実の家族のなかで、生き悩んでいる人間への提言は、何の役にもたたない。
むしろ、新しく進む時代に古い価値観を押しつけるから、事態をよけい混乱させるばかりである。

本書は、

 社会の変質は、わが国が文字通り先進国になったことの証明ではないかと思います。家族の「関係性」が 初めて正面から問われる時代がきたのです。−P.63
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愛情という名の支配

という時代認識を持ち、進む時代と共に人間とその背景にある家族を真摯によく見ている。
本質が溶融していくる情報社会では、人間も人格とか性格にたいして本質的な指向はとりようがない。
この本が優れているのは、生起している問題を人間の本質的な問題とはみずに、関係としてとらえようとしていることである。

 親のあるべき姿とか、夫、妻、子供はかくあるべしとは考えずに、それらの関係のあり方ととらえる視点は、実に良く現実を説明している。
あるべき姿があると考えるから、問題が生じたときはそれからの逸脱とみなされる。
そして解答は、どうしたらあるべき姿に戻せるかという発想になってしまう。
問題が起きるのは、問題が起きる社会的な必然性があり、人間は社会に適応しているがゆえに問題を起こすのだ。
本書の筆者は、長年アルコール依存症にかかわってきた中で、独自の人間観を形成してきた。

 「アルコール依存症は、<中略>アルコールに対するコントロールの喪失であり、疾病であるとみなされる ようになったのです。治療モデルとしては、「司法モデル」から「医療モデル」 への変化であり、刑務所から 精神病院へと収容場所が変わったのです。しかし「出たら、また飲む」という実態は一向に変わりなく、精神 医療従事者の間を無力感が支配していました。このような事態が大きく変動したのは自助グループの登場がきっかけです。アルコール依存症の本人たち が今日一日アルコールを飲まないことだけを目的に集まって自分のことを語ります。これを毎日積み重ねて いくだけで、断酒が維持継続されていくという事実は専門家にとって衝撃でした。
 これはある意味で医療の敗北でもあったのですが、専門家たちはこれを巧妙に治療に組み入れていきまし た。つまり、アルコール依存症を「人間関係障害」として認知したのです。このように医療モデルの限界認知 から生まれたのが「関係モデル」です。」−p.55
  
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 ここで注目すべきは、それまでの医療を敗北と認めたことだろう。
治療の専門家はアルコール依存症から、何とか立ち直らせたいと考えていたに違いない。
彼等こそ善意の提供者だったはずである。
善意に基づく行為が、必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。
自分のなしたことが、望む果実を結実しないのは寂しいことだが、結果が事実を物語るのだ。
潔い反省が、専門家にとっては衝撃的だった事実を、治療に取り込んだ。
専門家たちの行動は絶賛に値する。
そして、人間を関係の生き物と捉え直した、視点の作り直しが特筆される。

 現在問題になっているのは、社会生活ができない人間なのではない。
ある面では充分以上に完璧な社会人でありながら、ある面では障害をもってしまう。
だから、人間の本質的な欠陥ではないことは明である。
人間を関係として捉え、個人の自立力を信じる視点が確立すれば、関係障害に対する対処法は自ずとでてくる。
完璧な人間像の設定が逸脱を生むのだとすれば、固定的な人間像をあるべきものと想定することが否定される。
ここから導かれてくるのは、

    「正しい親、正しい家族は息苦しい」−p.112

という宣言になるのは当然だろう。
そして、親自身が楽しく生きることが、子供へ好影響を与え、人間関係を円滑にしていくと説くのも肯首できる。
  
   1.子どもは親を支えて育つ
   2.親が子どもを思う気持ちより、子が親を思う気持ちの方が深い
   3.自分に厳しくあれ、というしつけは有害である
   4.親は幸せであらねばならない
   5.母親の我慢は有害無益
   これは、紛れもなく私の臨床的実感であり、−p.62

と述べる筆者は、家族関係を解く鍵として「共依存」という言葉を使いながら、実に説得力のある論理を展開する。

愛情の表現形態が変わった情報社会の家族論として、臨床の世界から生まれた好著である。
同じ筆者の「脱常識の家族づくり」も参考になる。 
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参考:
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999
斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006
宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009

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