匠雅音の家族についてのブックレビュー   家族未満|向井亜紀

家族未満 お奨度:

著者:向井亜紀(むかい あき)  小学館 2007年 ¥952−

著者の略歴−1964年11月3日、埼玉県生まれ。日本女子大学在学中にラジオ番組のパーソナリティとしてデビューを飾る。その後、テレビやラジオをはじめ、エッセイの執筆、全国各地での講演など幅広く活躍する。1994年、高田伸彦と結婚。2003年、代理出産で双子の男の子、万里と結太を授かり、二児の母となる。著書に『16週 あなたといた幸せな時間』(扶桑社)、『プロポーズ 私たちの子どもを産んでください。』(マガジンハウス)、『会いたかった 代理母出産という選択』(幻冬舎)などがある。
 向井亜紀と高田伸彦夫妻は、代理母によって自分たちの受精卵を育ててもらった。
我が国では認められていない代理懐妊・出産だった。
そのため、アメリカでアメリカ人女性に代理懐妊・出産してもらった。
それだけなら、大きなニュースにはならなかっただろう。
すでに多くの人が、海外で代理出産を試み、自分たちの子供を得ている。
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家族未満

 向井夫妻が他の人たちと違ったのは、代理懐妊・出産して子供を得たことを公表したことだった。
多くの人たちは、秘密のうちに代理懐妊・出産してもらい、何食わぬ顔をして自分たちの子供として、区役所へ届けている。
つまり、出生届をだす段階では、DNA鑑定などない。
だから、虚偽の届け出であっても、嫡出児として受理されてしまう。
しかし、彼女たちは代理懐妊・出産による子供だと公表して、出生届を提出したのだ。

 母親の定義は、<分娩した女性を母とする>という、大昔の最高裁判例にしたがっている。
そのため、出産していない向井亜紀は母親として認められず、出生届は受理されなかった。
その結果、彼女の子供はアメリカ人として、外国人登録されて日本に住むことになった。

 向井夫妻は、子供たちの所属をめぐって、区役所、法務局、法務省と争ってきた。
役所は出産したアメリカ人を母親とし、養子とすればいいとか、帰化すればいいとか言って、向井亜紀を母とする出生届の受理をかたくなに拒否した。
そこで、出生届を受理せよという、訴訟を起こし、最高裁まで闘った。
本書は高裁で勝訴する時点までであるが、その後、最高裁では逆転敗訴した。

 子供が欲しいという願いは万国共通のものです。子供を得る方法には、大きく分けて五つの方法があります。自然妊娠、人工授精や体外受精、精子・卵子・胚の提供による妊娠、代理母出産、そして、養子縁組です。アキの場合は、代理母出産になりますが、卵子に元気がなかった場合は、卵子提供という方法も加わります。それがいやだったり、数回トライして失敗に終わったら、次は養子縁組です。僕は、あなたのその腕に赤ちゃんを抱かせてあげられるよう最大限の努力をします。

と、アメリカ人の担当医が言っているが、非常に説得的である。
我が国では、人工授精と養子縁組をまったく別物に考えている。
しかし、子供が欲しいという希望にとっては同じであり、手段が違うだけである。
このあたりの親子関係の捉え方が、我が国とアメリカではきわめて違う。
どちらが好ましいかと言えば、もちろんアメリカの親子関係である。

 親子関係とは、血縁の関係もあるし、育ての関係もある。
とにかく親子であると、親子の双方が考えていれば、それは親子として扱われるべきだ。
戸籍を同じくしないで、共同生活をしている男女だって、夫婦と認めているように扱えばいいのだ。
しかし、我が国では戸籍が優先するのだ。
きわめて非人間的である。

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 我が国では、役所は国民に法律を守らせようとする。
それは決して、国民という人間を守るためではなく、書かれた法律に生きている人間を当てはめるのだ。
それから外れた人間は、容赦なく斬りすてられてしまう。
しかも、法律の運用や解釈は、じつに恣意的なのだ。

 権力側の人間は、必ずしも法律を守らない。
我が国の法務大臣は、国民のプライバシーを平気で暴露するし、法務省は外務省をつうじて、海外の個人情報を秘密裏に収集する。
そして、既存の権力に都合のいいように、法律を運用している。
本書でも法務大臣が、筆者や筆者の子供のプライバシーを、マスコミに明かしている。

 国家を相手に裁判をするタレントの芸能活動は難しい、と芸能事務所へ圧力がかかってくる。
国家を相手にすると言うことは、仕事を失うことでもあるのだ。
とても恐ろしい。

 代理懐妊・出産には賛否両論があるだろう。
しかし、代理懐妊・出産を選んぶ自由はあるし、その結果生まれた子供は、自然懐胎で産まれた子供と同じである。
どんな子供も出自や身分で、異なった扱いを受けてはならない。
戸籍より子供の福祉が、もっとも大切にされるべきである。

 我が国では、いまだに<分娩者を母とする>運用がなされているが、それは大昔の判例に過ぎない。

 医学が進歩し、子を分娩した女性と、子と遺伝的つながりを持った女性が別人物であるという母性の分離が可能となった今、「分娩者を母とする」という言葉は、もうすでに空洞化しているのではないでしょうか。父親をDNA鑑定で認めるのなら、母親もDNA鑑定で認めて然るべき時代は、もうすでに始まっています。P66

と筆者は言っているが、まさにそのとおりだろう。
しかも、非配偶者間の人工授精を認め、それで産まれた子供を嫡出児と扱っている。
卵子を提供することも、認められ始めた。
すでに血縁は空文化している。
受精卵を妊娠・出産してもらった場合には、親子間に血縁関係はまちがいなくある。
にもかかわらず、女性の場合だけ、出産した人を母とするのは矛盾している。

 男性だけをDNA鑑定で父親を特定するなら、女性もDNA鑑定で母親を特定すべきである。
ここには明らかに男女差別がある。
我が国の戸籍制度は、いまや完全に破綻している。
にもかかわらず、権力側は戸籍を固守しようとしている。
個人籍に変えなければ、人間が不幸になる。
核家族から単家族へ」、制度を変えてこそ幸せになれるのだ。
このままいくと、我が国だけが鎖国状態になっていくだろう。  (2010.2.1) 
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参考:
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田川建三「イエスという男 逆説的反抗者の生と死」三一書房、1980
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
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青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
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アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
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G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
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ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
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イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
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小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
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小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
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三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992

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