著者の略歴−昭和3年、千葉県生まれ.早稲田大学・専門学校、西南学院大学、九州大学に学び、米国に留学.米国カリフォルニア州バークレー市のへリック・メモリアル病院の心理相談室長(1971〜1983年)などを務め、帰国.現在、ライフマネジメント研究所所長、東京女子大学講師。教育学博士(臨床心理)、精神衛生コンサルタント。<主な著書>「病人と医者の人間学」(春秋社)「しつけを考える本」「女と男の人生相談」(共に訳書、社会思想社)「夫と妻の心理学」(創元社)「両性人間はふえてる」(集英社)「成功への心の科学」(PHP研究所)など多数. 随分と昔に出版された本だが、いまの夫婦にもつうじるだろうか。 我が国の夫婦は、アメリカ人夫婦に比べて、夫婦の結びつきが弱いと筆者は言う。 夫が妻を、妻が夫を思いやるより、子供へのつながりが強く、夫婦は別の人生を歩いているらしい。
性別役割分担に生きる夫婦の状況を、筆者は正確に描き出す。 夫は会社に身も心も捧げ、家庭を顧みない。 妻は仕事に邁進する夫を支え、家事と子育てに専念している。 両者はまるで別の人生を生きているようだ。 やがて、2人のあいだには、思いもしない深い溝ができている。 定年退職後、夫婦は離婚に至る。 年金が分割できるようになる前、妻は年金の半分を手に離婚を考えた。 当時は、夫のほうに問題があると見なされていた。 そのため、結婚したくない女性に対して、結婚できない男性と言われた。 団塊の世代までは、筆者の分析はあたっていた。 しかし、20年たってみると、男女ともに結婚指向が薄くなった。 本書は、精神分析学者によって書かれているため、きわめて現状追随的である。 まず、結婚の意味そのものを問うことなく、離婚を悪と見なし、結婚生活を維持するためにはどうしたらいいか、と言う前提で論を進めている。 儒教といったものを持ちだせば、日本人全体に当てはまると考えているようだ。 性別役割分担などの現状分析は確かであるだけに、時代からの拘束性を見落としていることが致命傷になっている。 我が国の家族は、いつの時代も男尊女卑であったわけではない。 昔から男尊女卑だということ自体が、男尊女卑思想に絡めとられてしまっている。 戦前は、女衆も働き手であり、男たちに拮抗する力があった。 男女がともに働き手であったから、夫婦のあいだには愛情とは別に、労働をともにすることから生じる親和力といったものがあった。 しかし、サラリーマンの夫婦には、親和力が生まれようがない。 にもかかわらず、夫婦を不変のものであるかのように捉えている。
そこで持ちだされるのが、結婚してもシングルのようにいるのが良いという。 「既婚シングル」とは、双方の自由を阻害し、自立性を欠いた融合した関係、べったりくっついた関係ではなく、双方の自由と自立性を尊重し、個が確立し、分離した関係、双方の間に心理的な空間を設けた関係にある夫婦のことを意味する言葉である。 ところで、同じ心理的な距離にもネガティブ(非健康的)なものとポジティプ(健康的)なものとがある。 ネガティブな心理的距離を維持する夫婦は、背中を向け合った夫婦関係である。ポジティブな心理的距離は向かい合った夫婦関係であり、しかも、健康的に向かい合い、関わり合うために必要な心理的距離を設けた関係である。P12 筆者の言うように、結婚しても自立しているべきだというのは、その通りであろう。 夫婦のあり方はこうでなければならない、と言う決まりはない。 しかし、農業が主な産業だった時代、庶民たちは結婚前にすでに異性体験をもち、肉体的なナジミが良いことを確認した上で結婚した。 それでも離婚率は、現在のアメリカ並みに高かった。 明治になると、親たちのお膳立てする見合い結婚が普及し、肉体交渉はおろか顔もよく見ないで結婚した。 これで夫婦が上手くやれと言うほうが無理だろう。 しかし、この時代、離婚率は低かったのだ。 とすれば、上手くいかなくても、一緒に生活する術を身につけたのだ。 それが夫婦は経済生活だけ一緒にして、互いに関わり合いを持たないで、生活するという暮らし方だった。 我が国では、単身赴任が多いという。その理由を筆者は、次のように言う。 子供との交流が一時的に断絶することも子供の教育のために必要であると考える論理には、親としての家庭における教育的責任の放棄が含まれているわけである。そして、そのような論理に支えられ、子供を母親のもとに残して単身で赴任するのだが、かといって、そのことが現実に子供との交流を一時的に断絶することになるわけではない。すでに断絶している子供との関係の延長にしかすぎないのではないか。家庭にあってすでに子供との交流に断絶があるから、子供を母親のもとに残して単身で赴任できるのである。 つまり、父親と子供との関係は、単身赴任前と後とはなんの変化も生じないのである。であるから、子供も妻も、父親の単身赴任に反対しないのではないだろうか。P102 単身赴任だけを取り上げてみれば、筆者の言う通りである。 単身赴任になるのは、子供が受験生だからである。 とすれば、すでに10年以上の共同生活があるのだ。 その間に、夫婦も、親子も、夫や父親がいなくても、廻っていくようになってしまっているのだ。 筆者は続けて、これと同じ状況が夫と妻との関係においても言える、と断言する。 すでに夫婦は、互いにいなくてもやっていけるのだ。 だから、簡単に単身赴任を選ぶという。 しかし、単身赴任の期間は、互いの存在を確認する時期でもあろう。 単身赴任中は、男性は自炊をしなければならず、家事労働に目覚めるに違いない。 とすれば単身赴任は、家族の絆を深めることにもなりはしないだろうか。 単身赴任中に、「夫は達者で留守がいい」というのは、残された家族たちだろう。 筆者の現状分析は正確だが、既婚シングルという概念は、きわめて両義的であり、夫婦関係を解き明かす鍵にならないだろう。 本書が出版されたときには、現況は本書のいう通りだったが、今では結婚をしないという形になった。 既婚シングルという概念は、たちまち現状に追い越されたといっても過言ではない。 (2010.1.7)
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