匠雅音の家族についてのブックレビュー   幸子さんと私−ある母娘の症例|中山千夏

幸子さんと私
ある母娘の症例
お奨度:

著者:中山千夏(なかやま ちなつ)  創出版 2009年 ¥1500−

著者の略歴−8歳でデビュー、「名子役」として有名に。70年代には、俳優、司会者、声優、歌手として活躍、世に「チナチスト」を産み出し、同時に文筆でも『子役の時間』などで直木賞候補になるなどして、その多才に注目を集めた。また女性解放運動や人権の社会運動家としても著名。現在は文筆に専念。1948年生まれ。著書は60余冊にのぼり、近著には、日本絵本賞受賞の『どんなかんじかなあ』(自由国民社)のほか、『海中散歩でひろったリボン〜ボニン島と益田−』(KTC中央出版)『ぽくらが子役だったとき』(金曜日)がある。
 親子というのは難しいものだ。
本書の読後感は、それに尽きる。
成人して親のもとをはなれ、別々に暮らすようになっても、親の影響は続く。
斉藤環の「母は娘の人生を支配する」をもちだすまでもない。
ましてや、結婚せずに親子が同居を続ければ、その影響ははかりしれないものがある。
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幸子さんと私―ある母娘の症例

 <天才子役>として売り出した筆者は、結婚もしたし、独居もした。
しかし、親の影響は大きかった。
小さな時からステージママとして、舞台の脇から筆者を見てきた母親。
しかも、つかず離れず、ずっと近くにいた2人である。
影響が小さかったはずはない。

 本書の腰巻きには、

 率直に言う。生まれてこのかた「母に会いたい」と思ったことがない。

と書かれているが、幸福な親子関係だったようだ。
けっして母親を心底恨んでいないし、本心で嫌ってもいない。

 筆者は本文中では、いろいろと不平も書いている。
本書の建前は、母親に愛されなかった子供のグチと言うか、母親への悪口だろう。
しかし、本心では必ずしも母親を、悪くは思っていないように感じる。
気に入らない母親だったが、血を分けた肉親だから、といった感じだろうか。
日本的なウエットさが強い。

 筆者の母親は、筆者を褒めなかったという。
筆者が学校のテストで95点をとってくると、なぜあと5点とれなかったのか、と叱られたという。
ほとんど満点で、他の子供に比べれば、はるかに良い点である。
にもかかわらず、母親は一つの間違いを指摘する。
これは辛いだろうが、ボクの家もそうだった。

 小学校の時は、ボクも成績は良いほうだった。
体育だけがいつも3だったが、ほとんど4か5で、たぶん5のほうが多かった。
しかし、学期末の通信簿では、褒められた記憶はない。
いつも下がったり、4だった科目を指摘されて、叱責された。
たまたま5を1つとった友人が、家中で大喜びしているのが羨ましかった。

 ボクは筆者と同じ年齢だが、おそらく当時の親たちは、みな同じだったのではないだろうか。
だからといって親を免責するつもりはないが、少なくとも子供の教育に熱心な親は、子供を叱るばかりで、褒めることをしなかったように感じる。
子供たちを褒めずに、叱咤激励してきた。
それが団塊の世代のメンタリティを、作り上げてきたのではないだろうか。

 本書では、母親のメンタリティーを書いている。
筆者が舞台にでたいといったから、母親はしぶしぶ付き合ったのだとか、筆者の希望に母親は従っただけだと、母親に言われた。
そして、母親は不本意ながら、筆者の芸能人人生に付き合ってきた、と言い続けられてきた。
しかし、事実は違っていて、母親は自分の子供を芸能界にだしたかったし、芸能界での子供の活躍を楽しんだ。

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 筆者の稼ぎで、母親を養ってきたのだが、母親は一切感謝しなかったという。
筆者は母親に対する恨みを、本書を書くことによって解消した。
母親への悪口は、愛情の裏返しである。
疎遠な親子関係なら、こんな本は書かない。
原田純の「ねじれた家 帰りたくない家」と同様に、親が子供を精神的に拘束する、一種の虐待なのだろうか。

 筆者が母親のことを悪く書いて出版するのは、実に大きな精神的な抵抗があったと思う。
親を悪くいってはいけないという掟があるのだ。
親のことを悪くいうと、親は子供が心配なのだよ、と世間は言う。
ボクですら、筆者の悪口を愛情の裏返しだと、割り引いて聞いてしまう。
しかし、この母親の対応は、たとえ子供への愛情だとしても、子供の成長を真綿で首を絞めるような仕儀になっている。

 子育てとは、子供のためにやっているのではなく、親自身の満足のためにやってる。
真実は、子供は親にとって必要だったのだ。
親が自分の実利や楽しみのために、子供を育てたのが真実だろう。
なぜなら、子供がいないと、親の老後が成り立たなかった。
だから、親は親孝行するように、子供を教育した。
しかし、戦後、親自身のために子供を育てなくても、親たちは老後が暮らせるようになった。
そこで子育てが、変質したのだ。

 戦後の我が国では、まだ農耕社会の子育て精神が残っていた。
そのため、親たちは自分自身のための子育てでありながら、子供のためという建前をくずせなかった。
叱咤激励するのは、子供のためだといった。
親を批判する子供を、親は許せないのだ。
先進国の親たちは、子育てを楽しんでいるから、子育ては親のためだと知っている。
しかし、古い価値観が残る我が国は、親が子育てを楽しめないがゆえに、子供の自主性を信頼できない。
 
 なぜ母は未分化なままだったのだろう。ずっと後年になってから、それは、妊娠出産という営為そのものに起因する、と私は考えるようになった。流産という自分自身の体験も含む見聞から、導き出した答だ。女は、自分の肉体を分けて胎児に与え、十ヶ月体内で育て、出産後もまだ乳を産出して与え、つきっきりでその生命を保育しなければならない。その間、女はまったく自分自身を生きることを、諦めるしかない。そのなかで女が子に削ぎ取られる物理的精神的な「自分」は、なまなかな量ではない。であれば、その結果としての子を、自分の一部と感じるのは、理の当然というものだろう。理知的な女が、子と未分化な例は多い。一見、矛盾しているようだが、先のように考えると、それもまた当然なのだ。理知的とは、その精神がより動物から遠いという意味で、より人間らしい、ということだ。そしてそれは、「自分」についての意識がより強い、より「我」が強い、ということだ。すると、理知的な女であればあるほど、妊娠出産は、自分を奪われる感覚に満ちた体験になるだろう。P121

 筆者の母親に対する感覚は、妊娠・出産によって跡づけられる。
たしかに、社会的に活動する女性たちにとって、妊娠中は大きく活動が制限される。
そのため、産まれてくる子供に、制限された部分をのせて、自己投影したくなるだろう。
今後、女性の社会的な進出が進むにつれて、ますます筆者のような感覚がふえるだろう。
しかし、これは子供の自立とは、反対の方向である。

 本書を読んでいて、我が国の親子関係がいかに歪んでいるか、はからずも筆者はそれを明るみに出したように思う。
筆者のような心情を、今後多くの女性たちが吐露して、徐々に我が国の母子関係も近代化していくのだろう。
団塊の世代を育てた親たちと、団塊の世代との関係確認が始まるに違いない。
ボクの父子関係とダブらせて、いろいろと考えさせられた。    (2010.4.20) 
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参考:
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可 能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的 基礎」桜井書店、2000
芹沢俊介「母という暴力」 春秋社、2001
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」 筑摩書房、1994
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
下田治美「ぼ くんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
須藤健一「母系社会の構造:サンゴ礁の島々の民族誌」紀伊国屋書店、1989
エリザベート・パダンテール「母性という神話」筑摩書 房、1991
斉藤環「母は娘の人生を支配する」日本放送出版協会、2008
ナンシー・チョドロウ「母親業の再生産」 新曜社、1981
石原里紗「ふざける な専業主婦」新潮文庫、2001
石川結貴「モンスター  マザー」光文社、2007
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」 筑摩書房、1994
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株) ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書 館、2001
末包房子「専業主婦が消える」 同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、 1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジ ンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワー クス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、 1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」 大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書 房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現 代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職 域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」 宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働 と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」 とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新 潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参 画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」 ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、 1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべ きではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」 東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」 角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、 2004
大塚英志「「彼女たち」 の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」 有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、 2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、 2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」 水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、 1972
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細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、 1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」 思索社、1982
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マリリン・ウォーリング「新フェミニスト 経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」 平凡社、1992
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R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の 水書房、1987
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、 2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」 二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、 2000
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杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、 1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」 中公新書ラクレ、2009
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文 庫、2003
光畑由佳「働くママが日 本を救う!」マイコミ新書、2009
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」 草思社、1997
奥地圭子「学校は必要 か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史  まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
中山千夏「幸子さんと私」創出版、2009
匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997

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