匠雅音の家族についてのブックレビュー   解体家族|小室加代子

解体家族 お奨度:

筆者 小室加代子(こむろ かよこ)   批評社、1983年 ¥1500

編著者の略歴− 1942年東京都生まれ。1966年早稲田大学教育学部教育学科卒業。1967年東京大学新聞研究所研究生修了。1967年サンケイ新聞社編集局入社。社会部、サンケイスポーツ文化部などの記者として勤務。1970年サンケイ新聞社退社 以後、フリー・ジャーナリスト 著書『女に生まれて』読売新聞社共著、『リブ・ラブ・ライフ』BOC出版部、『自分を創る女たちのために』PHP研究所出版部、『回想の朝永振一郎』みすず書房共著、『合衆国の旗』PHP研究所出版部
 昔に出た本を取り上げるのは、ちょっと気が引けるが、論じるに値する本だと思うので開いてみよう。
家族論や女性論など、随分と取り上げてきたつもだったが、筆者の名前は知らなかった。
筆者のような経歴で、女性旋風の吹き荒れた時代に、なぜ名前が出てこなかったのだろう。
己の無知と世の中は広いものだ、と改めて思い知る。
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 本書は下記のような仕立てになっている。

はじめに 
第一章 「離婚・残された父と子は……」の父たち
  離婚の二つのタイプ−経済破綻型と過渡期型 
  妻は三人のうち上の二人の娘をつれて家を出ていった−Tさんのケース
  日本版『クレーマー・クレーマー』たち
  日本ではじめての父子家庭の会
第二章 花の母子家庭・棘の父子家庭か
  母子家庭の子どもだった頃
  母子家庭の親になって……
  ある在日台湾人の父子家庭
  父子家庭の父親との同棲
  同棲開始当時−日記から
  スーパー・ファミリーの誕生と崩壊−続日記から 
第三章 家族の崩壊
  血縁の親と社会的な親
  同じ片親家庭でも父子家庭と母子家庭はここが違う
  子育ては義務ではない
  機能主義的家族観の破綻
第四章 解体家族
  新しい家族の肖像
  解体家族の夫婦関係
  解体家族の親子関係
  家族・家庭が活力をとりもどすには……
あとがき 


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 全体に筆者の体験を元にした文章だが、母子家庭で育ち、ちょっと変わった家族を実践してきたので、通常の核家族論とは趣が異なる。
だいたい親子4人の標準的な核家族を営んできたきた人は、家族について考えたり本を書いたりしないものだ。
筆者の言う解体家族とは、当サイトの言葉で言えば単家族のことである。

 本サイトのいう単家族の基本ユニットは、父子家庭と母子家庭なのだが、筆者は父子家庭と母子家庭では様子が違うという。
実際に単家族を経験してきた筆者だからの発言である。
家族は社会の反映だから、社会に男性支配が残る以上、男性がつくる単家族と女性が作る単家族が違う様相を持つのは当然だろう。

 筆者は離婚後、母子家庭と父子家庭を合体させて、成人2人と子供4人の生活をする。
これを筆者は、スーパー・ファミリーと名付けているが、これは単家族の2世帯同居である。
通常の核家族も、単家族の2世帯同居にすぎず、単家族においては血縁のあるなしは関係ない。
しかし、現実の生活の中では、血縁の有無は大きな意味をもっているだろう。

 興味深いことには、富と権力を保証できる「家」や家族ほど、血縁の直系の男子に頼らずこだわらず、むしろ機能的に「家」の継承をきめてきた。継承についてのルールのお手本、モデルを天皇家と親王家の関係に求めて、富と権力が拡散しない道を選ぶ。富と権力を次代に保証できるカが弱い階層、あるいは保証する力のない大衆ほど血縁への執着が強い。富と権力によって、血統の証しが伝承しない家、及び家族ほど血のつながりに頼る意識が強いのは、それ以外に自らの生存の証しを主張する場がないという貧しさからくるのであろうか。P28

と言うのは名言である。
しかし、こう言ったからといって、大衆の血縁の拘りがなくなるわけではない。
かく言う筆者だって、結局は血縁の子供との同居を選んだようだ。

 本書の書かれたのが、今から28年も前なので、やはり時代の影響を感じる。
それでも、性別役割分業に関する認識など実にシャープである。
筆者はアンペイドワークの主張を恥の上塗りだと喝破している。
アンペイドワークの評価などを主張した大学フェミニズムなどより、はるかに実生活に即した論考である。
また、企業は欲しい人材なら母子家庭でも気にしないというのは、働き続けた人だけが言える言葉である。

 フェミニズムも28年前には、女性たちもシモーヌ・ド・ボーボワールの「第二の性」などをきちんと読んでいたのだろう。
時代が下るに従って、女性の権利が拡大されてきたのは事実だが、どうもフェミニズムは正常進化を遂げることができなかったようだ。
筆者は保護されることを嫌う。
保護は差別そのものである。
しかし、保護は心地よく見える。だから女性専用車などが簡単に導入されてしまうのだ。

 1970年代の前半は、世の中が高度成長期から低成長期に転じようと模索していた混乱期だったので、母子家庭の母親たちには比較的暮しやすい時期だったのではないかと思う。事実、母子家庭をセールス・ポイントに未婚の母が活躍した時代であったが、不況が、ズッシリ腰を落ちつけたこれからの時代は母子家庭にとっては風当りの強い時代になるように思う。P148

 その後の母子家庭を見ていると、筆者の心配が杞憂でなかったように感じる。
実際に、母子家庭を体験する渦中にいると、なかなか突き放してみることができないものだ。
にもかかわらず、筆者は歴史の中に家族をおいてみている。
次のように言う筆者の目は、失礼ながら女性離れしていると思う。

 産業革命によって出現した第二次産業のために、それまでの家族が核家族に解体せざるを得なくなったと同じように、今、核家族は巨大化した産業、特に網の日のように張りめぐらされた第三次産業(このなかには教育産業も外食産業も当然、ふくまれている)によって、機能をからめ取られ、新たな解体の最中にいる。P174

 何というシャープな見方であろうか。
岡田秀子の「反結婚論」を彷彿とさせる。
1983年当時に、こうした認識をもっていたことは脱帽である。

 我が国のフェミニズムは、筆者のような家族持ち相手ではなく、若者相手になってしまったので、机上の空論で済むようになってしまったのだろう。
働く女性相手ではなく、大学生相手の大学フェミニズムでしかない所以である。
(2011.8.30)
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参考:
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か その言説と現実」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、
I・ウォーラーステイン「新しい学 21世紀の脱=社会科学」藤原書店、2001
レマルク「西部戦線異常なし」新潮文庫、1955
田川建三「イエスという男 逆説的反抗者の生と死」三一書房、1980
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
匠雅音「家考」学文社
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992
クロード・レヴィ=ストロース「親族の基本構造」番町書房、1977
湯沢雍彦「昭和前期の家族問題」ミネルヴァ書房、2011
小室加代子「解体家族」批評社、1983

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