匠雅音の家族についてのブックレビュー   家族という関係|金城清子

家族という関係 お奨度:

著者:金城清子(きんじょう きよこ)  岩波新書 1985年 ¥430−

著者の略歴−1938年東京に生まれる。1961年東京大学法学部卒業。専攻−国際法,法女性学。現在−東京家政大学教授,弁護士。著書−「法女性学のすすめ−女性からの法律への問いかけ−」(有斐閣選書)、「国籍を考える」(共著,時事通信社)
 1938年生まれの弁護士が、47歳の時に書いている。
しかも、上梓されたのが、今から25年前であることを考えれば、この程度でも仕方ないのかも知れない。
筆者は大家族を否定し、核家族を普遍的なものと見なし、核家族制度のなかで論じている。
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家族という関係 (岩波新書)

 文化人類学・歴史人口学などによって、過去の家族に関するイメージは誤りであることが明らかにされてきました。長いあいだ文明の発展から取り残されてきた人びとの社会を、人類学者たちが調査した結果によると、未開民族のほとんどすべてにおいて、男女と子供からなる小家族が基本となっていて、しかも統計的にみて、いずれの社会でも核家族が大多数をしめてきたことが明らかになっています。P3

という記述は、マードックらからの援用だと思う。
家族の基本は、核家族だという思いこみが、ほとんど無検討のまま前提になっていく。
そして、大家族では女性が忍従を強いられた。
明治時代から戦前は、女性にとって過酷な時代だった、と話はつづく。

 このパターンは、進歩的文化人といわれる人の典型である。
しかも、意識改革によって、愛ある家族の実現をめざすと続くと、ほんとうにものを考えているのかと疑いたくなる。
言っていることは、決して間違いではないけど、だから何?って言い返したくなる。
出版後25年たつと、こうも色あせてしまうのだろうか。
 
 弁護士という職業柄、論理の展開がどうしても表面的になったり、意識変革に話を持っていきがちである。
確かに男性は企業戦士として、女性は銃後の専業主婦として、非人間的な生活を強いられてきた、と言えるだろう。
しかし、性別役割を嬉々として選んできたのは、他ならぬ核家族志望者たちだった。

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 大家族という農業の生活を嫌ったのは、まず女性たちだった。
かつての農業は、男女ともに厳しい労働が要求された。
厳しい労働を嫌って、サラリーマンの妻になれば、性別役割分業になることは見えていた。
にもかかわらず、多くの女性たちは職業婦人となることよりも、専業主婦となることを選んだのだ。

 人間は厳しい人生より、より楽しく楽な人生を選ぶものだ。
だから農業から工業へと転じたのだ。
それにともなって、家族も核家族が主流になったに過ぎない。
子供に関して次のようにいう。

 子供を生むか、生まないか、何人生むか、いつ生むかは、個人のプライバシーの権利として、国家の介入が許されないものと考えられるようになってきました。男女の合意にもとづく結婚によって新しく形成された家族の形態を、どのようなものとしていくかは、ファミリースタイルの問題として、夫婦の自由な選択が保障されるべきものと考えられるようになってきたのです。P118

 子供をもつことが楽しければ、他のことに優先して子供をもつ。
また、結婚が楽しそうなら、多くの人が結婚する。
しかし、結婚しても楽しそうには見えないし、子供が大きな喜びになりそうにもない。
だから結婚しなくなり、子供を持たなくなったのだ。

 筆者はスウェーデンなどの、同棲から私生児出産を論じてはいる。
しかし、本書のトーンからは、結婚を至上のものとし、同棲をワンランク下と感じてしまう。
法律家として、法の規定する婚姻を正当なものと、知らずのうちに考えているように感じる。

 <新しい家族像を求めて>という最終章をもうけている。
その内容たるや、家族を社会変革の核としよう、それには意識変革だと力説する。
家族が多様化してくるといっても、家族は崩壊するのではないという。
筆者がいう家族とは、結局のところ核家族に過ぎない。

 家族について、本書が弁護士の限界かも知れないが、もっと産業構造との連関をみてほしかった。
意識は、つねに楽なほうへ、楽しいほうへと行くのだから、お説教じみた話では通用しない。
本書の限りでは、政府の少子化対策とほとんど違わない。  (2010.4.5) 
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参考:
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湯沢雍彦「明治の結婚 明 治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時 事通信社、1998
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、 1972
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磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
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S・クーンツ「家族に何が起 きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前 夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」 中公新書、2001
黒沢隆「個室群住居: 崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
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S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実の ゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談 社文庫、2002
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上野千鶴子「家父長制と資 本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学 館、2001
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斉藤環「家族の痕跡」 筑摩書房、2006
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香山リカ「結婚がこわい」 講談社、2005
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ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河 出書房新社、2004
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菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」 すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」 講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さ の常識」中公文庫、1998
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文 庫、2002
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棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャン ダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」 新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家 庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半 と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」 ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」 光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」 現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、 1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新 書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、 1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、 1998
斎藤学「「夫 婦」という幻想」祥伝社新書、2009
マイケル・アンダーソン「家族の構造・ 機能・感情」海鳴社、1988
宮迫千鶴「サボテン家族論」河出書房新社、 1989
牟田和恵「戦略としての家族」新曜 社、1996
匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997

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