匠雅音の家族についてのブックレビュー      他人と暮らす若者たち|久保田裕之

他人と暮らす若者たち お奨度:

著者:久保田裕之(くぼた ひろゆき)  集英社新書 2009年 ¥700−

著者の略歴−1976年生まれ.群馬県桐生市出身.大阪大学大学院博士後期課程在籍.専攻は家族社会学・福祉社会論・政治理論。自らも実践する他人との共同生活の中から、賃金や雇用の問題にも、家族サポートや心の問題にも還元されない、新しい若者論を描いた本書が初の単著となる.日本のみならず、海外での共同居住実践についてのフィールドワークも行っている。参照サイトは、http://www.genderstudies.jp/sharehousing/
 異性の2人が同居すれば、恋人同士だろう。
同性の2人が同居すれば、同性愛者と見られるだろう。
独身の1人者は、1人で住むと誰が決めたのだろうか。
血縁や性愛関係のない2人は、一緒に暮らしてはいけないのだろうか。
寮などを除けば、血縁や性愛関係のない成人が、2人以上で同居する例は少なかった。
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他人と暮らす若者たち

 最近、未婚の成人が、数人で同居する例が増えてきた。
そうした住まい方を、シェアーと呼んでいるようだ。
1部屋に同居する住み方をルーム・シェアーといい、1住戸に同居するのを、ハウス・シェアーとかフラット・シェアーと呼んでいる。
また、似たようなシステムだが、短期で同居する建物を、「ゲストハウス」とも呼んでいる。

 我が国でも、シェアーして住む人が増えてきた。
本書は、血縁や性愛関係のない他人と、一つ屋根の下で暮らす若者たちを描いたものだ。
新しい話はいつも海外からとなるが、シェアーも海外から入ってきた。
途上国では、昼に借りている人と夜借りているといった例もあるが、しかし、ここでいうルーム・シェアーとは、1部屋を昼夜で分けるのではない。
昼夜にわたって同居しているのだ。

 本書では、お金のない若者が、都会で住むためにシェアーが始まったように書かれている。
しかし、お金のあるなしにかかわらず、西洋人たちは血縁や性愛関係のない人たちが、1つ屋根の下で同居してきた。
古くからのそうした習慣が、若者たちのシェアーへと繋がっていったのだろう。
本書は、我が国でシェアーを始めた若者たちの例から引用しながら、新たな住まい方を模索している。

 他人でありながら、同居しているだけで、親密な関係にもなる。
そのため、同居するというのは、なかなか難しい問題を含んでいる。
友人としての関係が先行して、一緒に住もうかとなったのならまだしも、まったく知らない人と同居するのは、心理的な抵抗があるだろう。
我が国の住まいは狭く、プライバシーがないので身体はおろか、心の中まで覗かれそうである。

 本書はシェアーの経済性を強調しているが、安いからだけで同居するのではないだろう。
むしろ、個人化が進んできて、かえって個人に精神的な外皮が形成されてきた。
だから、同居してもストレスが生じないのではないだろうか。
家族というヌエ的な集団で暮らしてきた時代には、個人の輪郭がはっきりしていなかった。
そのため、個室というかたちで個人の外皮を守る必要があって、シェアーできなかったのではないだろうか。

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 農業が主な産業だった大家族の時代には、個人を意識することはなかったから、大人数で暮らした。
個人という意識がない時代には、何人で同居してもやっていけたのだ。
そして、近代に入ってからは、まだ個人が確立されていないが、個人を意識するようになった。
近代に入ったばかりの個人は、まだ他人に晒すには虚弱だったのだ。
だから、個室というかたちで独居して、自分を守る必要があったのだろう。 

 今の若者は、個人が西洋人並みに確立してきたのではないだろうか。
だから、他人と同居しても、個人がじかに晒されると感じなくなった。
個人というメンタリティが、くっきりとしてきたがゆえに、1つ屋根の下で住んでもストレスと感じないのだ。
シェアーが可能になってきたということは、我が国の若者たちも近代人になり始めているということだろう。
 
 (シェアーするのは)「だらしなさすぎる人」が敬遠されている一方で、「几帳面すぎる人」もまた敬遠されているという点だ。性別に関わりなく家事も仕事もという男女共同参画を目指す人々の間では、とかく男性の家事スキルの低さばかりが問題視されるが、調整や妥協という点から考えるならば、高すぎるサービスレベルもまた同じように問題なのだ。P84

 専業主婦は家事が仕事だから、家事のレベルは高いほど評価が高くなる。
しかし、掃除も毎日するのは不要だし、それほどの手をかけなくても暮らしてはいける。
そうした日常生活の感覚が、個人が確立することによって、どうでも良くなってきたのではないだろうか。
だから、同居に抵抗がなくなってきたのだろう。

 西洋人たちは他の人が隣で騒いでいても、平然と自分の仕事をしていることが多いように感じる。
また、他人の動きが気になるときは、黙って席を外していく。
我が国の若者たちも人間観の距離感が、徐々に西洋人並みになってきたに違いない。
だから、シェアーに馴染めるのではないだろうか。
 
 みんなが「セックスするのは自由だが、あまりウルサイのは困る」という考えでも、「セックスは静かにする」というルールを話し合うのは、どこか気恥ずかしい。洋画にでもありそうな「昨日の晩は、ちょっと激しかったね。もう少し静かに頼むよ」などというセリフは、現実にはなかなか言えないものだ。P154

 筆者が言うように、日本人には上記のような台詞は口にできないと思う。
隣室からよがり声が聞こえてくれば、仕事が手に付かなくなるだろう。
しかし、個人の輪郭がはっきりしてくると、他人のセックスにあまり関心がなくなるようだ。
上記のような台詞は、映画のなかだけではなく、実際にも口にされている。

 今後、ますます個人化がすすんでいくと、他人の行動と自己がはっきりと分かれてくる。
すると他人の存在が、自己のなかに浸入してこなくなる。そのため、シェアーという住まい方も、いま以上に普及していくだろう。
シェアーという住まい方の背景は、単に経済的な問題だけではないと思う。

 最後に筆者は傾聴すべきことを言っている。

 住宅・医療・学費・生活費などの面で、もっぱら家族が若者の自立に責任を負う日本の社会制度は、むしろ、若者から自立の機会を奪い、親に依存させることによって、他人との生活の共同を困難にさせているのではないかとさえ思える。それゆえ、近年話題になっている、「ニート」や「引きこもり」といった「脱青年期」の問騒は、家族の「しつけ」や個人の心の問題として扱うのではなく、家族・政府・市場が、「脱家族」のための支援をどのように分担していくことが可能かという観点から議論されなければならないだろう。P196

 性別役割分業の核家族が、行き詰まっているのだ。どんな社会でも、家族は不可欠であり、家族のない社会はない。しかし、家族の形はさまざまである。 「核家族から単家族へ」の流れを、見据えることは不可避である。
 蛇足ながら、本書は修論をベースにしたものだろうが、現象面をなぞっているだけの感がぬぐえず、もう少し時代の本質に迫って欲しい。   (2010.1.20) 
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参考:
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磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
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信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
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ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997
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速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004

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菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
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塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
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下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
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松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
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青木やよひ「シングル・カルチャー」有斐閣、1987
久保田裕之「他人と暮らす若者たち」集英社新書、2009

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