匠雅音の家族についてのブックレビュー      家庭の生成と女性の国民化|小山静子

家庭の生成と女性の国民化 お奨度:

著者:小山静子(こやま しずこ)   勁草書房 1999年 ¥3000−

著者の略歴−1953年熊本市生まれ。1982年京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。現在 立命館大学文学部教授。専攻 日本教育史・日本女性史。主著『良妻賢母という規範』(勁草書房、1991年)「高等学校における男女共学の実現とその課題」(『立命館教育科学プロジェクト研究シリーズ』]、1998年)

 同じ筆者の「子ど もたちの近代」が、非常にシャープだったので、本書を読んでみた。
しかし、生活改善運動にかんする文字資料をつかって、家庭が女性の働く場所になったことと、国は家庭を通じて女性を政治に組みこんだといっているだけである。
文字資料と現実との距離感を欠いており、悪しき学者の典型だろう。
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家庭の生成と女性の国民化

 筆者は家族というより、家庭にこだわる。
家族も時代貫通的な概念ではないが、家庭は近代の産物だという。

 家庭とは、簡潔にいえば、公共領域と家内領域との分離を前提として、私的領域・女性領域と観念されていること、人間の再生産を担っていること、家族成員の情緒的絆が重視されていること、この三点の特徴をもった家族である。このような家庭は、近代という社会に特有のもの、つまり歴史的産物であり、戦前の日本においても存在し、その家庭は新しい家族のあり方として喧伝され、登場してきたものであった。<はしがき>

 当然のことを言っているに過ぎない。
もっといえば、公共領域と家内領域という分け方自体が、近代のものである。
私的領域と対立する公的領域など前近代にはなかった。
だから、私的領域・女性領域を観念するということも、近代の産物である。

 「子どもたちの近代」の前提になる論が、すでに本書で展開されている。
というより、本書の発展が、前著だったのだろう。
 
 幕藩体制下において、土地は公には各個別領主の私有に属し、農民も領民として公租を負担したが、事実上の土地所有は農民にあり、それは先祖伝来の家産と観念されていた。検地帳における持ち主名義は、「いえ」の名前の性質をもっていたし、百姓株の維持は「いえ」の問題であった。したがって、新たに検地帳から地券へ転記されるにあたっても、持ち主名は戸主であり、地券に表示される土地は「家」およびその代表者としての戸主のもの、すなわち家産であると一般には認識されていた。P15

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 家は土地を所有するがゆえに、生産組織であった。
そして、個人は家に属するだけであり、個人が土地を所有しているのではなかった。
戸主といえども、土地の管理人に過ぎず、個人としての戸主は土地所有者ではない。
明治になって、土地の売買が自由化され、誰でも土地の所有者になりうるようになった。
そこで、土地は家産ではなく、個人財産となり、戸主以外の者が所有することも可能となる。
しかし、土地の所有者は、ほぼすべてが戸主になったのだ。

 ここで生産組織である家から、家庭だけが分離してきた。
家が生産組織だった時代には、生産組織としての属性からの規定がつよく、国が家庭を支配する余地がなかった。
というか、税負担者としての家があるだけだった。
幕藩体制下では支配者はそれ以上の感心を持たなかった。
つまり、現代の企業に対する感心と同じだったのだ。

 生産組織ではない家庭は、課税対象ではない。
そのため、近代の明治政府は、家庭にいる人間の掌握が出来なくなった。
男性は労働者として、兵士として掌握できる。
しかし、家庭にいる女性には、支配の別チャンネルが必要だった。
戦前には女性に選挙権がない男尊女卑だった。
だから、男性を通して女性支配は行われたが、女性を直接支配することも必要だった。
それが良妻賢母教育を通じての、次世代を育てる者という女性の位置づけだった。

 第一次世界大戦中から戦後にかけて、女子教育界においては、総力戦体制における女性の重要性が認識され、欧米の女性に比べて日本の女性の「遅れ」が、危機感をもって語られていた。たとえば、従来の良妻賢母教育が、「高級女中、高級乳母」を養成するものでしかなく、日本の女性は他動的、消極的であること、あるいは虚弱で体力がなく、社会的活動や自覚に乏しいことが問題視されている。このような状況を是正し、欧米女性に比肩しうる女性を育成するために、女子教育の改善や良妻賢母像の見直しが盛んに議論されていったのが、この時期であった。P168

とすれば、家庭を通じての女性対策がどうなるかは明白である。
筆者は生活改善運動が、家庭への働きかけを強め、女性を政治化していくという。
上記のような状況認識なら、政府は女性を支配に組みこもうとするのは当然である。
筆者は家庭に脚光を浴びせることにより、女性の地位を見なおしたいようである。
しかし、本書の路線では、女性は戦争に積極的に参加したという結論になりそうである。

 家庭を消費の場と位置づけ、賢い消費者になるために科学的な思考が必要だといわれ、戦争への一翼を担ったのが女性だった。
歴史が流れていくとき、男性と女性で違う方向を志向することはない。
男性が前線で闘ったとすれば、女性は男性にもまして後方で闘ったのである。
それは筆者の主張ではないが、本書のタイトルからも、女性の戦力化が明示されている。
  (2010.5.5) 
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参考:
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小山静子「家庭の生成と女性の国民化」勁草書房、1999
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