匠雅音の家族についてのブックレビュー      可能性としての家族|小浜逸郎

可能性としての家族 お奨度:

筆者 小浜逸郎(こはま いつお)   ポット出版  2003(1988)年 ¥2500−

編著者の略歴−横浜国立大学工学部卒業。批評家。家族論、学校論、思想、哲学など幅広い評論活動を展開。

 大和書房から出ていた本を、15年後に別の出版社が出版する。
なくはない話だが、やはり稀な例である。
筆者も出版社に感謝しているが、幸運な本である。
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 家族が解体してしまうのではないか、という不安が漂っているという。
大家族から核家族へと、家族が小さくなってきたし、出生率が下がり結婚しない人が増えた。
そのため、家族が不要になってしまうように、感じているのかも知れない。
しかし、筆者はそれを否定する。

 解体不安を否定する根拠として、離婚・シングルは増えていないという。
離婚の数字は増えているが、結婚数のほうがはるかに増加しており、離婚はその増加に比べれば、ずっと少ない。
それゆえに、人々が結婚よりも離婚を選んでいるとは言えないのだそうだ。

 シングルの増加に関しても、シングルの増加している部分は、一人暮らしの老人がほとんどであり、非婚者はけっして増えていないという。
有配偶率は上昇しているし、シングルは増加していないが、世帯人員だけは減少しているという。
しかし、子供の減少は、家族の運命を測る尺度にはならないという。

 家族とは,一対の男女の性的親和および性的産出を核として、互いが互いのことをその特定の固定した位置関係にもとづいて「気にかける」ところに成り立っている共同性である。これ以外の考えられるべき家族の諸属性、たとえば、居住の同一性とか、感情の濃度とか、生活共有時間の長さなどは、すべて今規定した概念から副次的に派生してくる、また歴史的変遷や、さまざまな制約条件によってそのつど変容しうる、相対的な様態にすぎない。また、この「気にかける」かけ方は、もちろんただ一般的に気にかけるというのではなくて、「特定の固定した位置関係にもとづいて」とことわっておいたように、夫婦なら夫婦、親子なら親子、兄弟姉妹なら兄弟姉妹のそれぞれの関係の特質に見合った気にかけ方をしている。P81

 筆者に従えば、家族とはセックスをする男女と、セックスの結果生まれた子供を核として、互いに気にかける共同体だということになる。
しかし、これは核家族の定義ではないだろうか。
筆者は核家族を家族の原型と見なしているようだ。
これは人間の繁殖方法であって、家族と同じではないだろう。

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 家族とは、種を維持する装置であると同時に、それ以前に個体保存の制度でもある。
個体維持と種の保存は、どんな生き物にも課された使命だが、両者は等価ではない。
自分の命を長らえるという個体維持のほうが優先する。
個体が維持できて、つまり自分の命が長らえてこそ、種を維持できるのだ。

 筆者は核家族という家族が、崩壊しないといっているように読める。
しかし、筆者にとっては、家族の定義がちょっと違っており、家族制度と言うより、家族意識といったものを家族と呼んでいるようだ。
 
 だれとだれは夫婦であり、だれとだれは親子であるというような認知の構造が自他共に存在していて、その構造にもとづいて人が特定の生活行動をとるならば、そこには(家族)が存在すると考えてよいのだ。もちろんここでいう特定の生活行動とは、直接の関係者のそればかりではなく、家族外の他者がその家族に対してふるまうし方、さらにもっと一般的には、部族や社会や国家などが特定の集団をまさに特定の単位集団とみなしてそれにふさわしい扱い方をする場合などもふくんでいる。居住単位というのも、そうした生活行動のあり方の一つではある。しかしそれがどのようであるかという問題−たとえば大家族か核家族か−が、家族の本質概念にとって決定的な差異を持ちこむわけではない。P212 

 セックスを行う男女と、そのセックスの結果生まれた子供がもつ意識が、家族だと言われても、ちょっと頭をひねりたくなる。
筆者は吉本隆明の共同幻想論に依拠しつつ、家族論をすすめていく。
吉本が言っているのは、幻想領域というように、制度より意識に重点が置かれている。
筆者は家族意識と、家族制度を同じ位相で考えているように感じる。

 筆者は男女が産まれた子供の面倒をみないとすると、社会が面倒をみると飛躍する。
そんなことはないと否定する。
子供の面倒をみるのは、具体的な人間以外にはあり得ないのであって、社会が子供の面倒をみることはできない。
しかし、子供を産んだ男女ではなくても、子供の面倒をみることはできる。
人間は他人の子供でも育てることはできる。
事実、先進国では養子をとる人やカップルが増えている。

 夫婦や親とか兄弟といった家族意識の説明には、筆者の論は適しているだろう。
意識からいきなり社会的な制度へと論を飛躍させるので、論理に無理が出てくる。
意識の面でいえば、どんな家族形態になっても、夫婦・親それに兄弟といった意識はあるだろう。
意識の生まれ方を問題にしているのではなく、制度を問題にしているのだ。

 ここ数年、女たちの間にも、男なみの職業や社会的地位を手にすることがさしたるうまみのあることでもないということがひろく気づかれはじめ、また、核家族化の進展のために戦前型の家制度の重圧に苦しむ女性も少なくなった。男の方でも、「養ってやっている」ことをタテに権威をふりまわすこと自体がマンガ的になってしまい、また産業人間にひたり切るよりは私的な生活の万を大切にする傾向も強まってきている。
 こうじて、ただ一方的な男の支配という現実感受のしかたがますますリアリティを失ってきた。もちろん、伝統的につちかわれてきた男の身勝手さというのが、そんなにかんたんになくなったわけではないだろうが、一方では、経済的余裕があってしかも余暇や育児のための時間もじゅうぶんとれるような専業主婦などからは、産業戦士として日々こき使われている男はかえって同情に値する存在だとみられているケースも多いようである。P253


という発言を読むと、この筆者は意識と制度を分けて考えることができない、と言わざるを得ない。

 恋愛と結婚を別物というのは良いが、歴史的な射程をもう少し考えるべきだろう。
吉本隆明の対なる幻想を引用しながら、個的な幻想には言及していない。
吉本隆明から都合の良いとこ取りといった感じもあるが、女性論者の表面的な思考とは違って、復刻されても良い本である。

 家族意識に関しては、本書のいうとおりである。
しかし、家族制度とみると、核家族が単家族へと変わっていることは確かだろう。
 (2010.10.9) 
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参考:
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永山翔子「家庭という名の収容所」PHP研究所、2000
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フィリップ・アリエス「子 供の誕生」みすず書房、1980
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湯沢雍彦「明治の結婚 明 治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時 事通信社、1998
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、 1972
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磯野誠一、磯野富士子「家 族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
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黒沢隆「個室群住居: 崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
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S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実の ゆくえ」原書房、2001
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上野千鶴子「家父長制と資 本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学 館、2001
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伊藤淑子「家族の幻影」大 正大学出版会、2004
山田昌弘「家族のリ ストラクチュアリング」新曜社、1999
斉藤環「家族の痕跡」 筑摩書房、2006
宮内美沙子「看護婦は 家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結 婚の起源」どうぶつ社、1983
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香山リカ「結婚がこわい」 講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」 文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日 文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河 出書房新社、2004
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菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」 すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」 講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さ の常識」中公文庫、1998
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文 庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、 2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャン ダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
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下田治美「ぼくんち熱血母主家 庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半 と縁切寺」講談社現代新書、1992
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中村久瑠美「離 婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」 現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、 1993
森永卓郎「<非婚> のすすめ」講談社現代新 書、1997
林秀彦「非婚の すすめ」日本実業出版、 1997
伊田広行「シングル単 位の社会論」世界思想社、 1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009
マイケル・アンダーソン「家族の構造・ 機能・感情」海鳴社、1988
宮迫千鶴「サボテン家族論」河出書房新社、 1989
牟田和恵「戦略としての家族」新曜 社、1996
匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997
藤森克彦「単身急増社会の衝撃」日経新聞社、2010
小浜逸郎「可能性としての家族」ポット出版、2003

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