匠雅音の家族についてのブックレビュー   男たちへ−フツウの男をフツウでない男にするための54章|塩野七生

男たちへ
フツウの男をフツウでない男にするための54章
お奨度:

著者:塩野七生(しおの ななみ)  文春文庫 1993(1983)年 ¥552−

著者の略歴−昭和12〈1937〉年、東京生れ。学習院大学文学部哲学科卒業後、38〜43年までイタリアに遊学。45年、再度イタリアに渡り、現在に至る。ローマ在住。45年、「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」で毎日出版文化賞、56年、「海の都の物語」でサントリー学芸賞、57年、これまでの著作活動に対し菊池寛賞受賞。63年、「わが友マキアヴェッリ」で女流文学賞受賞。他に「ルネサンスの女たち」「神の代理人」「サイレント・マイノリティ」「コンスタンティノープルの陥落」「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」「マキアヴェッリ語録」「イタリアだより」「男たちへ」「再び男たちへ」「法王庁殺人事件」等がある。
 同じ筆者の「ローマ人の物語」も愛読している。
現在73歳の女性が、46〜51歳の時にかけて書いたエッセイである。
本サイトは男女平等を是としている。
男性も女性も、同じように職業をもつべきだと考えている。
しかし、身体的に男女に違いがあることも、認めざるを得ない事実である。
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男たちへ

 最近のアメリカ映画を見ていると、ユニセックスになってしまい、男女の違いは極小化している。
女性たちも男性と同様に、職場で働いているし、男性も子育てに余念がない。
男女は等価だとは思うが、ボクのような老人は、男が男であり女が女だった時代に、いくらかの郷愁を感じるのも正直なところである。

 男女平等になると、社会的には人間としての理想像さえあればいい。
しかし、個人的には、男にとっては女の理想が、女にとっては男の理想があるようにも思う。
社会的な存在としての、男女は同じで良いが、個人的には男女はおおいに男女であって欲しい。
1950年代のファッションを見ていると、男も女も実にセクシーでカッコイイのだ。

 現代は、男女の性的な魅力を語らなくなってしまった。
やはり昔の世代の声、しかも女性の声を聞くのが良いように感じて、この本を本棚から取りだしてみた。
筆者の男性観に共感するボクは、やはり古い世代に属するのだろうとは思うが、それでも納得する台詞があって面白かった。

 日本の大学の先生は、どうしてインテリ顔ではないのだろうと思っていたら、筆者は<インテリ男はなぜセクシーでないか>と論じていた。
大学教授とかジャーナリストとか、頭を使う職業の男たちが、何故に魅力がないのか、と筆者は問う。
その答えを、この男たちは、何を考えているのか、「女」には判らないと言う。

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 彼らは、雑誌新聞に書きまくり、テレビや雑誌の対談でしゃべりまくり、また、昨今とみに盛んになっている各種のシンポジウムでもしゃべりまくっているのだから、いったい全体なにを考えているのかわからない、と言う人のほうがおかしいのが普通なのだが、実際は、ワカラナイのである。
 それは、この種の男たちは、いかに書きまくろうがしゃべりまくろうが、自分自身の考えていることを述べるよりも、「解説」することのほうに熱心だからであろう。この種の男たちの1人の口ぐせは、学問的に言えば、という一句だった。それでいて、言うこととなると、非学問的なことを一見学問的に整理して述べるだけなのである。(中略)
 解説屋の隆盛こそ、昨今の日本の非知的現象の最たるものである、とさえ思っているくらいだ。解説屋の仕事は、そのどこを斬っても、赤い血は出ない。彼ら自身の肉体も、どこを斬っても赤い血は出ないのではないかとさえ思わせる。P215


 日本の大学教授たちが、インテリ顔ではないのは、外国の知識で解説しているだけだからだろう。
現実と直面し、事実の中から自分の頭で、規則性を導いてくるという作業をやらずに済んでいる。
先進国には先例があるから、それを翻訳すればいいことなのだ。
しかし、翻訳はあくまで翻訳であり、オリジナルを考え出す作業ではない。

 マスコミなどを見ていれば、なお専門家という解説者を有り難がっている。
だから、我が国の学者が外国に出ると、ほとんど相手にならないのだ、と筆者も言っている。
我が国のジャーナリストだって、外国では通じないだろう。

 最近、BBCを見る機会があった。
BBCはもう古色蒼然たるマスコミだろうが、それでもカレン解放戦線のまっただ中に、記者が入ってレポートしていた。
カレン解放戦線側から報道すれば、ミャンマー政府との関係が悪くなるだろうに、BBCは記者を送り込んで報道する。
ここには赤い血がでることの覚悟がある。
ヤンゴンで日本人記者が死んだが、我が国のマスコミは、とても血を流しているとは思えない。

 ところで個人的な話として、耳が痛い箇所があった。

 食事の仕方くらい、その人の子供の頃の家庭を想像させるものはない。なぜならば、あれだけは、歯並びの矯正以上に矯正のむずかしいことだからである。子供の頃の習慣が、どうしても出てしまう。大人になって、上品に振舞おうといくら努めても無駄なのだ。とくに、マナーどおりにしようとするから、もっといけない。自信のなさが、あらゆる手の動き口の動きにあらわれてしまう。そして、自然にあらわれるからこそすばらしい自信は、どうしたって子供の頃からつちかわれたものでなくてはホンモノでない。
 フォークの選び方がまちがったって、どうってことはないのである。給仕に、まちがったからもう1本もってきてくれ、と頼めばすむのである。(中略)マナーとは、経験、これにつきる。そして、この種の真のマナーは、子供の頃に、母親がしつけるしかない。P233


 アラン・ドロンは終生、育ちの悪さから抜け出せなかったという。
お里が知れるという言葉がある。
子供への対応は、無意識のうちに子供に染みこんでいく。
筆者がこれを書いた時代より、はるかに裕福になった我が国だが、真のマナーが身に付いただろうか。   (2010.3.12) 
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参考:
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
S・メルシオール=ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
顧蓉、葛金芳「宦官 中国四千年を操った異形の集団」徳間文庫、2000
エヴァ・C・クールズ「ファロスの王国 T・U 古代ギリシャの性の政治学」岩波書店、1989
田中優子「張形 江戸をんなの性」河出書房新社、1999
フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991
ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001
オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992
石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002
梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001
山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995
シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001
シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000
アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991
曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003
アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991
編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005
エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 
高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992
正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
モートン・ハント「ゲイ:優しき隣人たち」河出書房新社、1982
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995
プッシイー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002 
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
エリザベート・パダンテール「母性という神話」筑摩書房、1991
編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
斉藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
ジョルジュ・ヴィガレロ「強姦の歴史」作品社、1999
R・ランガム他「男の凶暴性はどこからきたか」三田出版会、1998

ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
斉藤学「男の勘ちがい」毎日新聞社、2004
ジェド・ダイアモンド「男の更年期」新潮社、2002
ジョージ・L・モッセ「男のイメージ」作品社、2005
北尾トロ「男の隠れ家を持ってみた」新潮文庫、2008
小林信彦「<後期高齢者>の生活と意見」文春文庫、2008
橋本治「これも男の生きる道」ちくま書房、2000
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
関川夏央「中年シングル生活」講談社、2001
福岡伸一「できそこないの男たち」光文社新書、2008
M・ポナール、M・シューマン「ペニスの文化史」作品社、2001
ヤコブ ラズ「ヤクザの文化人類学」岩波書店、1996

エリック・ゼムール「女になりたがる男たち」新潮新書、2008
橋本秀雄「男でも女でもない性」青弓社、1998
蔦森 樹「男でもなく女でもなく」勁草書房、1993
小林敏明「父と子の思想」ちくま新書、2009

イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
竹内久美子「浮気で産みたい女たち」文春文庫、2001
石原里紗「ふざけるな専業主婦 バカにバカといってなぜ悪い」新潮文庫、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997

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