匠雅音の家族についてのブックレビュー      ある性転換者の記録|虎井まさ衛

ある性転換者の記録 お奨度:

筆者 虎井まさ衛(とらい まさえ)  青弓社 1997年 ¥1600−

編著者の略歴− 1963年、東京都生まれ法政大学文学部卒。「FTM日本」「ASIAN TS CLUB」主宰、<人間と性>教育研究協議会会員、FTMインターナショナル(本部:アメリカ)メンバー。著書『かいげん』(パブリシヤユニコソ)、『女から男になったワタシ』(青弓社)  連絡先 東京都足立区足立西郵便局留FTM日本
宇佐美恵子(うさみ けいこ) 1949年生まれ、法政大学経済学部卒。ジャーナリスト

 我が国で性転換手術をするには、性同一性障害という病気にならなければならない。
本書を読んでいると、女性器をすべて摘出し、擬似男性器を移植する筆者の必然性を感じる。
三橋順子が「女装と日本人」で女装を主張しているが、性別への違和感はレベルが違うようだ。

 我が国での性転換手術のトップバッターである中原圭一より先に、筆者はアメリカで女性の身体を男性の身体へと、性転換手術を受けた。
一種の強迫観念に取り憑かれた、と言ってしまえば、そうとも感じる。
筆者は性別の違和感に悩み続け、独力でアメリカまで辿りつき、大金を払って手術を受けてきた。
本書はその記録である。
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 身体的には完全な女性であり、胸も豊かだし、不規則だが生理もある。
しかし、自分は男性だと信じている。
男性として生きたいが、身体が女性であるために、自分で自分を男性とは認められない。
そこで身体を男性へと変えよう、という強い意志のもと、小学校5年生から手術のための貯金を始める。

 身体は女性でありながら、女性的な身体にならず、豊胸手術を受ける人もいる。
美容整形と比べたら筆者は怒るだろうが、意志によって身体を加工することにおいては、同じように感じる。
性転換手術を受けることは、一種の自己満足の世界だろう。

 女性に違和感を感じる人は、すでに男装で生活している。
だから、性転換手術をうけても、受ける満足は些細なものだ。
男子風呂や男子トイレに入れるとか、気軽に上着を脱げるとか、手術を受けても実利はあまりないように感じる。
他人の視線など、大した問題じゃない。

 女性に違和感を感じている人は、エリートサラリーマンの道を選んでいない。
だから、戸籍などあまり問題ないだろう。
自分の違和感を解消するためだけに、高いお金を払って性転換手術を受けるといっても過言ではない。
なぜなら人間の評価は、性別にあるのではなく、どんなことをするかである。
中原圭一は大工だというが、性別よりも前に仕事ができるかどうか、それが中原さんへの評価なのだ。

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 仕事ができさえすれば、女みたいな変な大工だけど、できる奴で通用してしまう。
実は女体だと判れば、周囲は驚くだろうが、やがてあいつは仕事ができると認めてしまう。
それが職人の世界だ。
しかし、サラリーマンの世界はそうではない。
まず、住民票をださないと就職できない。
そこで仕事の能力以前に、性別による選別がかかる。
だから、女体の男性は、大手企業には就職できないだろう。

 筆者は大学を卒業して、肉体労働のバイトを続ける。
当時は男と女のハーフなどというスタンスがなく、女体を隠して男性として働いていた。
隠していては毎日が厳しいだろう。
夏の暑い日でも、乳房を押さえる胸のサラシがとれない。
トイレも困ったろう。
他人の目に射すくめられている。
他人が善意であればあるほど、困ってしまったはずである。
 
 いったいなぜ性転換を望むような人がいるのだろうか。私の場合、ほんとうに黄体ホルモンが原因なのだろうか。
 いまのところ、絶対ではないが主流の説として、「胎児期の脳の性分化」ということが唱えられている。もともとすべては女性形である胎児が、性染色体の働きで男の形となり、その睾丸から出る男性ホルモンのシャワーをその脳が存分に浴びれば、頭と身体の性が一致した男が生まれる、というわけである。ところがなんらかの原因で脳が男性ホルモンを(十分に)浴びそこなうと、MTF(Mate to Female)になってしまうという。
 私の場合は逆で、身体は女であったのだが、脳が多量の男性ホルモン(黄体ホルモンは同じような作用をするという)を浴びたために、頭と身体の性がバラバラになってしまったといわれる。 
 もちろんTG/TS各人各様の理由はあろう。しかし私の場合にかぎっていえば、この説がもっともよくあてはまるように思われる。私はとても静かな、荒々しさのかけらもないような育ち方をしたのだから。にもかかわらず、どうしても自分が男ではないとは思えなかったのだ。自分がとてもとても女性的であるということを識っていても、どうしても「女であるからそうなんだ」と思うことができなかったのだ。P82


 性転換手術をするか否かは、本人の意思に任せる他はないだろう。
自分の身体に手術するのに、他人がとやかく言う筋合いはない。
筆者も言っているが、性転換手術をしたから人生が変わるわけではなく、自意識の満足感があるだけだ。

 擬似男性器をもっても、女性にもてるかと言えば、もてる奴はもてるし、もてない奴はもてないだろう。
それは男性から女性に変わっても同じことだ。
性同一性障害はゲイのように関係性の問題ではなく、自意識の問題だから、性転換を社会は比較的簡単に認めたのだ。

 男女の違いは2つの量の差にすぎない。それは性欲と筋肉の量である。P140

と、筆者は言う。まさにそのとおりだ。

 性欲はホルモンの問題だろうから、ひとまず置くとして、男女差は筋肉量の差だ。
だから、さまざまに社会的な男女の違いが生じてきた。
筋量の違いは腕力の違いといっても良い。
腕力の違いが、男性優位の社会をつくったのだ。
男性と女性の両方を経験した筆者は、男女の違いについてよく判っている。

 性転換手術をする前は、やや暗い感じだったが、手術後は晴れ晴れとしている。
鬱屈した心境が、性転換手術で解消されたのだろう。
後半には、宇佐美恵子という新聞記者の、性転換にかんする紹介文が載っている。
 (2010.10.27) 
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参考:
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、 1972
フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991
ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995
アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995
シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001
シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000
アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991
曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003
アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991
編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005
エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 
高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992
正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004
ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006
ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006
菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000
ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997
ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001
ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」KKベストセラーズ、2006
松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003
ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999
ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001
赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996
ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969
田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004
ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000
酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005  
大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006
アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006
石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 
石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995
村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994
岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009
イヴ・エンスラー「ヴァギナ・モノローグ」白水社、2002
橋本秀雄「男でも女でもない性」青弓社、1998
エヴァ・C・クールズ「ファロスの王国」岩波書店、1989
岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999
能町みね子「オカマだけどOLやってます」文春文庫、2009
レオノア・ティーフアー「セックスは自然な行為か?」新水社、1988
井上章一「パンツが見える」朝日新聞社、2005
吉永みち子「性同一性障害」集英社新書、2000
三橋順子「女装と日本人」講談社現代新書、2008
宮崎留美子「私はトランスジェンダー」株)ねおらいふ、2000
虎井まさ衛「ある性転換者の記録」青弓社、1997

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