匠雅音の家族についてのブックレビュー     春画と江戸風俗|白倉敬彦

春画と江戸風俗 お奨度:

著者:白倉敬彦(しらくら よしひこ) ソフトバンククリエイティブ 2007年 ¥1900−

 著者の略歴−1940年北海道生まれ。早稲田大学文学部中退。独立の編集者として長年、現代美術のプロデュースをはじめ、広く美術の企画・編集に従事する。現在、国際浮世絵学会常任理事。主な著書に『絵入春画艶本目録』(平凡社)、『夢の漂流物(エバーヴ)』(みすず書房)、『江戸の春画』『春画の謎を解く』『江戸の男色』(以上、洋泉社)など。
 春画といえば、江戸時代の男女の絡みを、なまなましく描いた浮世絵として有名である。
かつては男女の結合部分には、ぼかしがかけられていたが、いつの間にか解禁になったらしい。
いまではオリジナルのままで、刊行されるようになった。
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 「江戸の男色」も上梓している筆者は、江戸の生活風俗にくわしく、学者たちに資料や情報を提供もしている。
田中優子が書いた「張形」も、筆者の提供した資料にしたがって書いたものだろう。
本書は、春画のなかに書きこまれた文字を、くわしく解説しており、なかなか興味深く読ませる。

 浮世絵は江戸時代のプロマイドだったから、浮世絵に描かれているのは、ほとんどが役者と遊女である。
それに対して、春画はその目的から、役者や実在の遊女を、モデルにするわけにはいかない。
そこで、無名の庶民をモデルにした。
その結果、浮世絵春画は、庶民の実生活を濃厚に具現化したものになり、生活にまつわる風俗がたくさん書きこまれている。

 むかしから、怖いものとして、<地震、雷、火事、親父>という。
たしかに、地震や雷は天災で、大きな被害をもたらすので、怖いものである。
また、木造建築が密集していた江戸では、火事は本当に怖いものだったろう。
しかし、親父にたいしては、ちょっと疑問をなげかける。

 怖いものは、<地震、雷、火事、親父>ではなく、<地震、雷、火事、やまじ風>だったという。
やまじ風つまり台風が怖かったらしい。
それが、いつの間にか親父にすり替わった、という。

 「地震雷火事親父」となつて「親父」が代わりに残ったわけだが、なぜそうなつたのか。これが笑いとして受けたからであろう。 「地震雷火事」までは判る。なぜそこに「親父」がはいるの? あんな者怖くないや、というところでどっと笑う。すなわち親父を揶揄していたわけでもともと親父なんて 怖くはなかったのである。
  だから、江戸時代に怖い親父を探し求めたとて詮ない仕儀ではあったのだ。それが本来の意味を失って、「怖い親父」になったのはいつ頃からのことか、少なくとも江戸時代ではあるまいと思う。とすれば明治か、何か意図的に作られたような気がしてならない。P32

 この視点は、なかなかに鋭いと思う。
女性も働いていたので、江戸の庶民たちは、親父の権威など、恐れてはいなかったのではないか。
また、子供だって生理精通があるころには、丁稚奉公に行くのがふつうだったから、すでに自分の口は自分で糊していた。
とすれば、きわめて平等意識が強かったはずで、親父が怖いものにあがるのは不自然である。

 親父の怖さとは、経済的な力か腕力のどちらかに負っているはずである。
江戸時代には、両方とも成人男性の特権ではなかった。
とすれば、怖い親父は、近代のものだ。
明治になって、政府は女性から仕事を奪い、義務教育を普及させて、家父長制を強化したかった。
男性の権威を、高めたかった国家の意思が働いた、とみるほうが自然だろう。

 本書を見ていて、風体や表情などが、じつに細かく描き分けられていることに驚く。
合意のうえでセックスを堪能している男女は、いずれも美男美女で、ゆったりした顔をしている。
男性も女性も、決してブスではない。
それにたいして、覗きなどをしている男性は、とんでもないブスに描かれている。

 春画がセックスの手引きだったこともあるだろうが、やはりセックスが肯定されていたのだろう。
男女ともに、10代も半ばを過ぎれば、セックスをするのが当然だったようだ。

 下の絵は、祝言を目前に控えた若い男女の、ベッドシーンを描いたものの一部である。余白にある書き込みを解説して、筆者は次のように書いている。

 「おれが望みで貰つたものを、可愛ゆがらねェでどふするものか。てめェはおれが可愛いか。フウフウ」
 「ヲ‥、静かにしておくれ、ちつと痛いよ。どうぞ可愛ゆがつておくれ。わたしや祝言が待ち遠で待ち遠でどうもならなんだよ。ヲ‥、うれしい」
 娘の方は、まだ経験不足のようだが、「待ち遠で待ち遠で」と言うところに切実感がある。決して男女の交合に躊躇しているところなどは見えない。P113


 今では、15〜6才にもなれば、男の肌を知らない女性はいないだろうが、表向きは初めてのような演技をする、と歌川国貞が書いている。
好きあった男女の営みは、ほほえましいし美しいものだ。

 「庶民たちのセックス」でも書かれていたが、前近代のイギリスでも着衣のまま励んだという。
江戸時代には、多くは着衣のままセックスをしたらしいが、興がのってくると衣類を剥いできたのだろう
。本書には、全裸ではげむ男女も描かれている。
また、遊女は着衣のままで、男性が裸になる例が多いとも書かれている。
 (2009.3.16)

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参考:
岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999
フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991

ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001
オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992
石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002
梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001
山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999

謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト幻冬舎文庫、2002
プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995
アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995
シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001
シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000
アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991
曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003
アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991
編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005
エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 
高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992
正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004
ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006
ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006
菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000
ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997
ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001
ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」KKベストセラーズ、2006
松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003
ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999
ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001
赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996
ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969
田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004
ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000
酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005  
大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006
アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006
石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 
高月靖「南極1号伝説」バジリコ、2008
石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995
佐々木忠「プラトニック・アニマル」幻冬社、1999
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994
岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009
白倉敬彦「江戸の春画」洋泉社、2002
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002

匠雅音「性差を超えて」新泉社、1992

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