匠雅音の家族についてのブックレビュー      日本の童貞|渋谷知美

日本の童貞 お奨度:

著者:渋谷知美(しぶや ともみ)    文春新書 1999年 ¥700−

著者の略歴−1972年大阪市生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学(教育社会学専攻)。現在、早稲田大学教育学部非常勤講師。論文に「『学生風紀問題』報道にみる青少年のセクシュアリティの問題化」(『教育社会学研究』65集〉、「男春改革論」(『クイア・ジャパン』2号)、共著に『女の子に贈る なりたい自分になれる本』(学陽書房)がある。

 童貞とはセックス未経験、もしくはセックス未経験者のことである。
本書は童貞の意味づけが、時代によって変わったという。
童貞の意味づけを、1920年代まで遡って、活字資料をあさっている。
雑誌などの活字資料からの論だから、はたしてどれだけ現実に迫っているのだろうか。
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日本の童貞 (文春新書)

 意味づけされたイメージによっても、人間は行動する。
童貞が肯定されていれば、童貞であろうとするし、否定されていれば、童貞でなくなろうとする。
しかし、童貞にまつわる言説を論じる意味が、あまりよく分からない。
セックスを肯定すれば童貞が減り、否定すれば童貞が増えるだけのことではないだろうか。

 婚外のセックスが、肯定されていた明治以前の庶民層では、童貞など存在しなかった。
生理・精通がある年頃になると、男女ともに地域の人たちにセックスの手ほどきをうけ、大人の仲間になっていった。
本書もそのあたりの事情を、次のように書いている。
  
 現代の大部分の人は、童貞は、そこにセックスという行為があるかぎり、人類の歴史とともに古く存在した、と考えていると思う。
 しかし、民俗学の教えるところはそうではない。少くとも、1920年代以前の民俗社会には、童貞のいない時代・空間があった。
 ここでいう民俗社会とは、近代化の波をかぶっていない農村や漁村を想定している。第二章で述べるような、近代に特有の性的品行方正を説く知識人の言説や、近代知である性科学や通俗性欲学の教えが届いていない社会のことである。(中略)
 学生たちが「愛する人に童貞をささげる」といっていたのと同じ時代に、一部の農村・漁村では、「筆おろし」「ヒラキ」と呼ばれる「前近代的」な儀式がおこなわれていた。
 精通期の男子をつかまえて、初体験をさせるのである。一種の通過儀礼といえるだろう。男子が相手を選んだり、自分の好きにふるまうことは許されない。相手は、共同体が近所のおばさんや遠い親戚の女性から選択するか、相手をつとめる女性が「あんたも齢頃だからヒラいたらどうぢやろ」と声をかけるかして(高倉薫「童貞開きの伝習奇習」179頁)、決定した。P47


 この時代、現在いう愛とセックスは無関係だったのだ。
セックスは肌を合わせるのだから、もちろん好ましく思っている男女間でおこなわれた。
しかし、好ましく思うのと、今日いうところの愛情は違うものだ。
つまりセックスとは愛情のないところで始まったのだ。
それでも充分に思いやりを持った肉体関係が成立していた。

 ところで、乳幼児に童貞とは言わない。
童貞とは精通があってからの時期に言う。
そのため、精通して間もない時期に性体験をしてしまうと、童貞でいる期間というのがない。
これが我が国の古い習慣であり、伝統だった。
近代になると、西洋近代を真似ようと、さまざまに西洋の価値観を取り入れた。
童貞というのも、そのひとつであった。

 西洋かぶれした明治末の学生たちには、童貞を守る意識が芽生えた。
結婚相手に処女を望むなら、男性も童貞でいるべきだと考えたのである。
しかし、こうした考えをもったのは、ごく一部の西洋かぶれした似非文化人たちだけだった。
本書は文献渉猟という、もっとも比実証的な方法で童貞を論じていく。

 我が国の近代は西洋化の歴史だから、時代が下るにしたがってセックスが禁止されていく。
それと並行的に、男女性別役割が強化され、男性は労働力+兵士となり、女性は家事専従者になっていく。
ここで女性の仕事は、家庭内に限定されていくので、労働者としての役割がなくなっていく。
必然的に良妻賢母が褒めそやされていく。
婚外のセックスが否定され、女性に貞操が要求されていく。

 誤解しないで欲しい。
戦前の農村では、女性は男性と同様に重要な労働力だった。
だから、農村の女性には良妻賢母など求められなかったし、彼女たちの活動は家庭内に限らなかった。
農村部には売春婦はいなかったし、女性に貞操が要求されることもなかった。
こうした背景があったので、農村の女性は自立していたのだ。

 人身売買をともなった売春が、公認されていた時代である。
男性は売春婦相手のセックスで、童貞ではなくなった。
しかし、ここで妙な話が出てくる。
売春婦相手のセックスと、非売春婦相手のセックスを区別し、売春婦相手のセックスでは童貞のままだというのだ。
女性を売春婦と非売春婦にわけるもので、これは女性蔑視そのものである。

 童貞を問題視する発想は、女性差別の裏返しである。
セックス経験がないことを、気持ちが悪いとか、真面目だとか言うこと自体が、女性への視線と同じものだ。
たくさんの男性とセックス経験がある女性は気持ちが悪いのだし、1人の男性だけとの女性は真面目なのだ。

 恋愛から結婚へと至る道が正当であり、セックスと愛情を結びつけてしまったことが、息苦しい社会にしてしまった。
女性の処女性に関する本はたくさん出版されている。
男性の童貞に関する本は少ないから、その意味では価値があるのかも知れない。
しかし、近代の意味を問うことなく、童貞がカッコいい時代があったとは、何を考えているのだろうか。
童貞がカッコいい時代とは、性別役割分業が登場しはじめ、女性が良妻賢母になろうとした時代ではないか。
本書は文献を並べれば、何か研究した気になる典型である。
  (2010.5.3) 

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参考:
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、 1972
フラン・P・ホスケン「女子割礼:因習に呪縛される女性の性と人権」明石書店、1993
エヴァ・C・クールズ「ファロスの王国  T・U 古代ギリシャの性の政治学」岩波書店、1989
田中優子「張形 江戸をんなの性」 河出書房新社、1999
フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991
ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001
オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」 飛鳥新社、1992
梅田功「悪戦苦闘 ED日記」宝島社新書、2001
山村不二夫「性技 実践講座」河 出文庫、1999
謝国権「性生活の 知恵」池田書店、1960
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
プッシー珠実「男を楽 しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002
生出泰一「みちのく よばい物語」光文社、2002
赤松啓介「夜這 いの民俗学」明石書店、1984
生出泰一「みちのく よばい物語」光文社、2002
福田和彦「閨の睦言」 現代書林、1983
田中優子「張形−江戸をんなの性」 河出書房新社、1999
佐藤哲郎「性器信仰の系 譜」三一書房、1995
アンドレア・ドウォーキン「イ ンターコース」青土社、1989
カミール・パーリア「セックス、アート、アメ リカンカルチャー」河出書房新社、1995
シャノン・ベル「売春 という思想」青弓社、2001
シャノン・ベル「セックスワーカーの カーニバル」第三書館、2000
アラン・コルバン「娼婦」藤原 書店、1991
曽根ひろみ「娼婦と近世 社会」吉川弘文館、2003
アレクサ・アルバート「公 認売春宿」講談社、2002
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」 筑摩書房、1991
編著:松永呉一「売る売らないは ワタシが決める」ポット出版、2005
エレノア・ハーマン「王たちのセックス」 KKベストセラーズ 2005 
高橋 鐵「おとこごろし」 河出文庫、1992
正保ひろみ「男 の知らない女のセックス」河出文庫、2004
ロルフ・デーゲン「オルガスム スのウソ」文春文庫、2006
ロベール・ミュッシャンプレ「オルガス ムの歴史」作品社、2006
菜摘ひかる「恋は肉色」 光文社、2000
ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」 原書房、1997
ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、 2001
ジュリー・ピークマン「庶民た ちのセックス」 KKベストセラーズ、2006
松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003
ケイト・ミレット「性の 政治学」ドメス出版、1985
謝国権「性生活の 知恵」池田書店、1960
山村不二夫「性技−実践講座」河 出文庫、1999
ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」 文春文庫、2001
赤川学「性への自由/性か らの自由」青弓社、1996
佐藤哲郎「性器信仰の系 譜」三一書房、1996
ウィルヘルム・ライヒ「性と文化 の革命」勁草書房、1969
田中貴子「性愛の日本中 世」ちくま学芸文庫 2004
ロビン・ベイカー「セックス・ イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000
酒井あゆみ「セックス・エリート」 幻冬舎、2005  
大橋希「セックス・レスキュー」 新潮文庫、2006
アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品 社、2006
石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋 社、1984 
高月靖「南極1号伝説」 バジリコ、2008
石川武志「ヒジュラ」青弓社、 1995
佐々木忠「プラト ニック・アニマル」幻冬社、1999
生出泰一「みちのく よばい物語」光文社、2002
村上弘義「真夜 中の裏文化」文芸社、2008 
赤松啓介「夜這 いの民俗学」明石書店、1994
岩永文夫「フーゾク進化論」平 凡社新書、2009
ビルギット・アダム「性病の世界史」 草思社、2003
メイカ ルー「バイアグラ時代」 作品社、2009
イヴ・エンスラー「ヴァギナ・モノロー グ」白水社、2002
橋本秀雄「男で も女でもない性」青弓社、1998
エヴァ・C・クールズ「ファロスの王国」 岩波書店、1989
岸田秀「性的唯 幻論序説」文春文庫、1999
能町みね子「オカマだけどOLやってます」 文春文庫、2009
島田佳奈「人のオトコを奪る方 法」大和文庫、2007
工藤美代子「快楽(けらく)」 中公文庫、2006
渋谷知美「日本の童貞」文春新書、1999

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